製本かい摘みましては(102)

四釜裕子

ネットでなにかを注文したり会員登録するのに名前と住所以外は適当に入れる。おかげでとんでもない日に知らないひとから誕生日おめでとうと言ってもらえる。やっかいなのはパスワードを忘れたとき。たまにあるでしょう、じゃあ、誕生日はいつですか?と聞かれる場合。どう嘘をついたか覚えていないので応えられないというわけです。今回は正直に入力した。名前とフリガナ及び英字表記、性別(男性/女性/その他)、住所、そしてメールアドレス。いとうせいこうさんのオンデマンド出版によるパーソナライズ小説『親愛なる』の注文だ。1997年にメール配信のみで発表した『黒やぎさんたら』に新しいタイトルをつけたもので、6月16日から8月31日までの発売、新書サイズ(W110 × H180mm) で224ページ、1900円(税込・送料別)。寺田克也、KYOTARO、フキン各氏いずれかによる挿絵が付くと案内されていて、2週間後に届いたのは寺田さんのものだった。発行:いとう出版、印刷・製本:不二印刷株式会社、出力機:RISAPRES、Powered by BCCKS。

1997年といえば富士ゼロックスがオンデマンド出版サービス「BookPark」を始めた年だ。村上龍さんがこのサービスを使って小説『共生虫』を単行本に先行してオンデマンド版で出したのは2000年。どんなものかと注文して読んだのだが、棚の中に見当たらない。しかたがないので当時の日記を見てみると、「デジパブ『共生虫』 ○=単行本買うひとより先に読める(ただし今回は誤植で納期が遅れ手元に届いたのは単行本発売日の前日)/1000部限定だからこのあとプレミア付くかも/作家手書き文章を刷ったものが巻末に付いている/スペシャルIDが与えられる(ホームページの特別コンテンツにアクセスできる)。×=表紙の質感がひどい/特別コンテンツったってたいしたことなかった/3500円(送料500円込)はやっぱり高すぎる(単行本は1500円)」と、ある。オンデマンド出版は本の質感がゼロ、なっとらん、みたいなことを、はりきって書いてましたねぇ、この頃。

『親愛なる』がくるまれていたパラフィン紙をはずすと、白い表紙に大きく「111-0041 親愛なる四釜裕子様 東京都台東区○○○ ○-○-○」。これじゃあ外では読めないよと思ったが、誰も私の名前は知らないし、本の表紙に堂々と書かれたこの住所が実在するととっさに思うひとはほとんどいないだろうし、平気になって翌朝電車に持ち込んだ。私のメルアドあてにいとうせいこうさんから届いたメールの第一信から始まる。どうも私のメルアドを装って複数の人間がせいこうさんに奇妙なメールを送っているようだ。ひとりの「私」が金を貸してくれと言ったことに対してせいこうさんは無理だと応え、さらに「私」の家の最寄り駅を言い当てた。なんとこの駅が、私の家の最寄り駅なのである。住所を伝えているのだからごく簡単なパーソナライズなのだろうけれど、急におちつかなくなって周囲を見回したし、誰にでも親がいるようにどの場所にも最寄り駅があることに胸をつかれた。

まもなく、登場人物の中の誰に自分が重なっていくのだろうと思いながら読んでいることに気がついた。正直に「女性」と入力したから少なくともコイツではないなと思う男をはずしたりして、自分に味方して物語を読みたがる性癖を知る。パーソナライズのひとつとなりうるキーワードにもたやすくひっかかる。国籍や年齢や体格や。どれも入力していないのだから関係ないはずなのに、それでもだ。さらにあきれるのは誤植を真面目に疑ったこと。私の名前はシカマヒロコ、逆に読むとコロヒマカシで、そのいずれでもない名前が出てきたのだ。カシマヒロコ。入力を間違えたとは思えない。何度か出てきてそのたびにカシマヒロコじゃなくてシカマヒロコですとひとりごちる。しばらく読み進んで再びカシマヒロコに戻ったとき、それはカシマロヒコでカシマヒロコではないことに気がついた。カシマロヒコ。誤植を疑う余地はないだろう。まさかのカシマロヒコだった。

読み終えて、「自分」はつまりこの読み終えた「私」であった。確かに、他の誰かの『親愛なる』と比べてみたくなる。カタカナの名前がどう組み替えられているのかだって気になる。『親愛なる』交換読書会があったら出かけよう。なにしろ古本屋には売れないし、悪い友だちには貸せませんから。