製本かい摘みましては(110)

四釜裕子

去年と一昨年、朝顔市で2鉢ずつ買ったものの、どちらの年も種から育てたほうが花は小振りながらだんぜん元気だったのはどういうわけだろう。やたら伸ばすことをせず、仕立てたままで存分楽しめるように、なにより市を一番の舞台として育てられた鉢ということか。今年はもう市で買うのはやめにして、それでいつもより種を多く蒔いていた。勝手に落ちた種は先に芽吹いていて、伸びてきた中からえりすぐって誘導網を整えた。さて外に蒔いたヤツも育っているかな。なにしろ毎年ものすごい数の種をとるので、近くを歩きながら街路樹のたもとあたりに振りかけてあるというわけです。

この日、界隈は「モノマチ」の最終日だった。台東区の南、御徒町から蔵前、浅草橋にかけての2キロメートル四方で、問屋やメーカー、職人やデザイナーの工房を中心に飲食店なども含めた254組が、自社を開放して物販やワークショップを行なっている。日射しを避けて、自称”日本で二番目に古い商店街”(一番は金沢の片町商店街)・佐竹商店街のアーケードを歩くと、飛騨のファンマガジン「ひだびと。」などいくつかブースが出ていた。かき氷の白根屋、せんべいの加賀屋、ロールカステラの中屋洋菓子店、ファミリースナック・ロッキーなど、いずれも初めて入るときは勇気を要した商店街の店舗たちが、ゲストを迎えて抜群の書き割りをつとめていた。いや、営業してたかも。

モノマチは2011年にはじまり7回目という。今回の実行委員長は、私も数年前に本のタイトル押しでお世話になった田中箔押所の社長・田中一夫さんで、その仕事ぶりは台東区の地場産業のひとつとして区の公式チャンネル(Youtube)で公開されている。田中箔押所ではモノマチ期間中、こんな連携イベントもあったらしい。カキモリでノートを選ぶ→大栄活字社で活字を拾う→活字を用いて田中箔押所でノートの表紙に箔押し→使い終わった活字をマルジュウではんこに。

明治の中頃、佐竹原(さたけっぱら)と呼ばれたこのあたりに高村光雲が作った大仏の話を思い出した。原っぱに食べ物屋などができてちょっとした賑わいをみせたころ、見世物にと大仏建立を言い出した光雲が後にひけなくなって、仲間うちの大工や竹屋や興行師やらに声をかけて実現したという。たしか火事かなんかで焼けちゃって……ということだったと思うが、さまざまな職人たちがたむろしていて、仲間うちの突飛な思いつきをおもしろがってみなで実現してしまうという……さて、何に書いてあったかな。「高村光雲 佐原 大仏」で検索したらさすが青空文庫、一発回答! 「図書カード:No.46843 幕末維新懐古談  63 佐竹の原へ大仏を拵えたはなし」、お世話になります。