製本、かい摘まみましては(24)

四釜裕子

前回書いたヤリタミサコさんの本のための「無用で離れ難き帯」は、高橋昭八郎さんの「ポエムアニメーション5 あ・いの国」の現物を原稿とした。この作品は小さく折り畳まれており、それを伸ばし拡げた状態で反射原稿とする。できるだけぴんとしたいが、かといってそのために手を加えることはしたくない。紙の折れ線や折り山のめくれ、弱冠の汚れは「味」と考えていたが、作業するうえでその「味」をどう判断するかは難しい。

そこで、版元の水声社、印刷会社のディグ社に時間をいただいて、「あ・いの国」を囲んだ。伸ばしたり拡げたり、折り畳んでみるがうまくいかなかったり……を繰り返し、それはつまり楽しい楽しい鑑賞の時間であった。作品の魅力で、「味」の規準はなんなく共有できた。具体的なことはなにも言葉にしなかったが、適度なズレやカスレが抜群の「味」として再現できた。うれしかった。

10月末、書店に並んだという連絡を受けて、でかける。どの帯が、どう出ているだろう。いくつか書店を回ってみるが、やはり各店1種類。取次1社につき1種類の帯で納品されているからだろう。だから、おおかたの書店でこの時期目にしたのはせいぜい2種類だ。この状況は、もちろん予想していた。水声社の鈴木社長、担当の福井さんとは、もし4種類の帯を取次が認めてくれなかったら書店を回って自分達で帯をかけよう! もし1種類しか扱ってくれなかったら差し換えの帯を持って書店を回ろう! と妄想してシキを高めたものだった、「オビゲリラ」と名付けて。

各4種類、全8種類の帯がずらりと並んだ姿が理想であったし、「オビゲリラ」っていうのは笑えるナと思ったが、実際出ると印象は変わった。なにしろ複数の帯は同数刷っているので、時間が経てばいずこよりか、別柄の帯をしめたヤリタ本が出てくるはずだ。そもそもこの2冊は、このあとずっと長く読まれる本である。売るための役割を果たさない帯であるが、流通する帯の柄の変化が時の流れを飾って寄り添い、細く長く在るべき本を支えることはできるんじゃないか。新刊書店で、そして古本屋さんで。長く、長く。いつでもどこでも、出会うのが楽しみです。