製本かい摘みましては(83)

四釜裕子

引越して初めての冬はどんな雪が降るのだろう。都内を移動しただけなのにおおげさな……。でもそう言ってみたくなるのは、今年のはじめに萩原義弘さんの雪の写真を見たからだ。山形の内陸で育った私の記憶に残るのとは別のもの。月明かりに照らされた丸いシルエットに浮かぶのは磁器のようだし、廃屋の隅に吹き溜まるのは白い砂のようだ。重さが違う。乾いている、からっとしている。手離れがいい。そんなアナタを知らなかったと、今度会ったらいってやりたい。

萩原さんの写真展はヤリタミサコさんといっしょに訪ねた。この写真とコラボレーションした詩集を作るから、装幀を担当して欲しいといわれた。喜んで受けたが、ヤリタさんの詩の言葉は強烈で、原稿を預かり、ひとり、部屋でその文字を追うのはきつかった。ふだんヤリタさんが話す言葉はからっとしている。ライブの感想を話すときと同じように、日常の会話も瞬間をとらえているからだ。感覚と言葉が直結していて、あたまで言葉をこねくりまわすことがないのだと思う。そうだ、”ヤリタ人形”を部屋に迎えて、朗読してもらえばいい。すらすら読めた。

10月、20センチ四方くらいの、からっとした詩集ができた。『私は母を産まなかった/ALLENとMAKOTOと肛門へ』という。表紙カバーに大きなモノクロ写真、見返しは清潔な月明かり、花布は水の色。上製本で厚みは1センチもない。ヤリタさんの詩と萩原さんの写真がある限りだ。この詩集をひらいたひとが、私がそうしたように、”ヤリタ人形”を感じてくれたらうれしい。この冬の雪を待ちながら、そう願う。