製本かい摘みましては(94)

四釜裕子

小さなテーブルで小龍包とおいしいラーメンセットを食べながら、さっき買った文庫本を読んでいた。通路をすり抜ける店員さんに気づくのが遅れて右肘を胸に寄せた瞬間に、左手から本が床にすべり落ちた。あわてて拾うと、最初の数ページの端っこがしっとり濡れている。どんぶりをかすめたようだ。紙ナプキンを数枚はさんで上から押してスープの進出をいくらかでもくいとめようとしたものの、表紙カバーもまもなく波打ってきてしまう。スープを吸った紙の束はラーメン屋のテーブルの下に置かれた雑誌のにおいがする。ラーメン屋でなら気にせず読むが、間抜けに落としたこの状況ではただただ臭くて読む気にならない。とっとと食べて帰ることにした。その夜、すまないがこの本には寒空の下で過ごしてもらう。次の日の通勤電車の中で開くと、まだまだラーメン屋の雑誌のにおい。扉ページなんかスープの脂が半分くらいまでしみ込んで、光沢を放ち羊皮紙みたいだ。時間が経てばいつか臭いは抜けるのだろうか。以降、晴れた日はベランダの椅子の上で過ごしてもらっているのだが。

しかし、本がすべるって、どいうことだ。それほどあの時あわてたとは思えないし、それほど手の動きがおぼつかなくなっていたり指が乾いていたとは思えない。臭いの抜けないくだんの文庫本を左手に持って、ラーメンを食べながら読む体勢をとってみる。指を開いて親指と小指を手前に出す五点支え法でペラペラ……。なにかこう、違和感がある。ページがまとめてめくれたり、カバーと中身がずれてきたり。本文紙に比べて表紙カバーの張りが強過ぎるんじゃないか。たぶんあの時も、中身がカバーよりわずかに先に飛び出すかたちですべり落ちたように思われる。それに、表紙カバーってこんなにつるつるしていたかな。過剰なつるつるがカバー紙のしなやかさを封じ込めて、結果、中身の紙とのしなり具合の違いを大きくして、本を片手で持って読むには扱いくくさせているんじゃないか。

ちなみにこの本はPHP文庫。あの日いっしょに買った新刊のちくま文庫と新刊の新潮文庫と比べても、表紙カバーのつるつる度は高い。ラーメンを食べながら片手で読んでいたらすべって落ちてスープで濡れたことを版元に責めるつもりはないけれど、なにもこんなにつるつるにしなくてもいいんじゃないか、いやいや、これくらいつるつるでなくてはダメなんだという理由があったら是非とも教えていただきたい。やっぱり本は、帯もカバーもすっかりはずしてから読むのがいい。たいていいつもそうしているのに、帯もカバーもかけたまま、しかもしおりと広告もはさんだまま、いきなり片手で読み始めたことがこのたびの悲劇の最大かつ唯一の原因なのだろう。カバーは本の衣装ではなく包装紙だ。読む時は包みを開けて、読み終えたらまた包む。それがいいと思っている。