製本、かい摘みましては(52)

四釜裕子

今年も日記帳作りが校了。小学校1、2年生ころの私にあった心配性が今もこの身体のどこかにあることを感じさせてくれる仕事で有り難いデス。あとは印刷製本屋さんにお任せできれいな仕上がりを待つばかり。製本の観点から日記帳や手帳に求められるのは、まずよく開くこと、そしてそのことによってボロくならないこと。となれば俄然糸かがりが主流となるし、部数もそれほど多くなく、カバーなどの造作も特殊だから最後は手作業によることも多いようだ。製本工場で見かけたことがある。季節はちょうど今頃か。天地小口が金で角丸、しおりひもを2本つけた表紙は革風の深紅の紙、豪華で小さな本ですね、と作業する人の手元を覗いたら手帳だった。

西川祐子さんの近著『日記をつづるということ』によると、日本で最初に印刷製本して出版された日記帳は大蔵省印刷局初代局長の得能良介が1879年に官吏に配った『懐中日記』だそうである。フランス製のアジャンタをモデルにしており、『官員手帳』とも呼ばれて一般にも販売された。明治11年のことだ。本格的に商品化されたのは1982年頃。卓上用の「当用日記」と携帯用の「懐中日記」が作り分けられるようになり、当用日記はイギリスのコリンズ社のダイアリーをモデルとしたようだ。博文館では1895年から日記帳を作り始め、1920年頃までその販路はひたすら拡大、印刷製本は夏の間に終えるようになっていたので1922年9月1日の関東大震災でも被害を受けなかったそうである。

『日記をつづるということ』には日記の分類として、個人の日記と集団の日誌、あるいは秘匿する日記と公開する日記という二分法的分類をしている。さて私はといえば、小学生の頃は担任の先生に提出する日記があり、給食の時間に読んで書いてくれるコメントがうれしかった。中学生になってもその習慣で日記をつけたがその一方で、仲の良い女友達と二人で、あるいは複数の男女での「交換日記」にもセイを出した。たいてい誰かが飽きて数カ月で終っていたが、その日記帳を探すのもまた楽しかった。開きやすさなんて考えたこともない。圧巻はサンリオかなんかの鍵付き(!)ビニールカバーの日記帳。いったい何を書いていたのやら。恥ずかしいことを書いていたことだけはわかる。『日記をつづるということ』、副題は「国民教育装置とその逸脱」。