失恋のあがき方

西荻なな

もういい大人だというのに、失恋をした。大人だから失恋していけないというわけではないのだけれど、その幕切れの曖昧さとともに、気持ちの整理がつかず、引きずり方がみっともない感じになってしまっているのだ。自分でも困り果てるほどに。

どれだけ相手を好きだったのかは、正直、心もとない。どことなく幻想だったような気もしないではない。でも、同時期にやってきた仕事面での大きな変化もあいまって、心が揺れに揺れている。仕事には身が入らず、彼と交わしたやり取りの読み解きに、ひとり余念がない。テクスト解析したところで、答えなど出るはずがないというのに。

こんなふうに落ち着かない心を持てあましたとき、今まで取ってきた策といえば、旅に出て長距離を歩き倒し、感傷にふける。あるいは、ひたすらに本を読んだり音楽を聴く、文章を書き殴る、という、ごくごくシンプルなものだった。お酒を飲むわけでもなく、手当たり次第に人に連絡するわけでもない。歩いた分だけ、あるいは読んだり聴いたりした分だけ、それが身になって、前に進めればいいと思って一人作業に徹した。自分の血肉になれば、次もまた開けるだろうと。

だけど、今回ばかりは一人でどうにもできず、人に会っては、恥ずかしさも厭わず、恋の始まりから終わりまで、全ストーリーを開陳し続けている。話せば話しただけ、痛みが薄らいでいくような錯覚にとらわれているんだろう。途切れない気持ちに楔を打ってほしくて、いろんな人に電話をかけたりメールをしたり、お酒を飲みにいったりと忙しい。散財している。でも、友人知人たちからの温かくも厳しいアドバイスが、本当にありがたい。

Lineでのやりとりについては、相手の文面の分量の5分の1しか返してはならないとか、3か月は何も連絡をしてはならないとか、とてもとても具体的な助言もある。恋愛マスターのアドバイスには蒙が開かれる思いだ。

相手のSNSでの近況をチェックし続けてしまうと告白すれば、「そういうのはネットストーカーだ、大切な時間を無駄にしないで」と叱られ、そうだもうやめようと固く誓う一方で、その翌日に「そんなのパブリックなものだから罪悪感は必要なし。見ていいんだよ」というもう一人の意見を聞いて、固い決意もむなしく再びはずみがついてしまったりと、ゆらゆらしている。

ふと我に返れば、こんな情けなさマックスの状況にもかかわらず、アドバイスの中途でみんなが聞かせてくれるそれぞれの恋愛譚には時に心躍り、慰められもする。私の場合はね…という一人称語りをたくさん聞けて、それぞれの知らなかった一面を知ることにもなった2ヵ月あまりだ。

昨日お酒をともにした20歳あまり年上の女性は、こんな話をしてくれた。その方は今の旦那さんと付き合い始めたころ、相手からの猛アピールで、職場に毎日16時に電話がかかってきたという。毎日メールとか、毎日Lineとかでなくて、職場に毎日電話の時代だ。それですっかりほだされてしまって、二人が付き合うことになった途端、ふと潮を引くように彼からの連絡が途絶えたのだとか。これはいったいどういうことなの? と困惑して、大混乱に陥った彼女は、相手からの連絡を待って何ものどを通らない日々を過ごし、もう待つのは無理、というタイミングでいよいよ彼に電話をかけたのだそうだ。

すると、「もう二人の関係は大丈夫だと思って安心してしまった」と、気の抜けるような返事が返ってきたとか。認識違いでひとり思い悩んでいただけ、ということもある。「だから連絡がこないって、そういうことかもしれないよ?」とクラフトビールを片手に彼女は明るく笑いかけてくれて、「いえ、残念ながら違うんです……」と私の場合は否定することしかできなかったけれども、なんだかちょっと救われる思いだった。