アジアのごはん(80)ルアンパバーンの納豆肉みそ麺カオソーイ

森下ヒバリ

「さっき下の受付でこの宿を見に来た青年がいたから、色々話しとってん」と部屋に戻ってきた連れのYさんが言う。「ふーん、どこの国の人?」「スウェーデンっていうてたわ。そんで、ビーガンのベジタリアンっていうから、味の素入れんといて、のラオス語『ボー・サイ・ペンヌア』とあそこのカオソーイ屋教えてあげてん」「ああ。麺の上にのってるの、納豆入りだけど、豚肉みそ、やで」「あ、あ」「しかもスープは鶏ガラね」「‥‥」

ラオスの古都ルアンパバーンに来ている。人を案内していた間に泊まっていたちょっといいホテル、から移ったレトロ可愛い安ホテルが、電気設備もレトロで、雷の日に部屋の中でも雷音のようなバリバリ音がしたり、電圧の急上昇でノートPCのアダプターが煙を吐いたり、湯沸かし器がボンッと壊れたり~のトラブルがあり、そうそうに引越ししたのが今いるマニホーム。レトロじゃないけど静かで居心地のいい宿だ。

ルアンパバーンは旧市街全体が世界遺産である。つまり、街の雰囲気にマッチしない、けばけばしい建物や高層ビルは建てられない。ビエンチャンと違って、この町がどんどんビルや商業施設で変わっていくという姿は見なくていいのだ。ラオスが乾季に当たる10月から2月までは観光シーズンで人がたくさん訪れるが、いまは雨季で観光客は少ない。雨がちょっとうっとおしいものの、ゆっくり過ごすにはもってこい。

ルアンパバーンに来たのは久しぶりだ。初めて来たのは確か1991年だった。そのころのラオスは社会主義で首都ビエンチャンしか外国人に開放されていなかった。しかし、ビエンチャン以外のいくつかの町には、ラオ国営ツーリズムの高いツアーをアレンジしてガイドを同行すれば行くことが出来た。お金もなかったが、ガイド、つまり監視付きの旅もいやだ。でも、他の町にも行ってみたい。

わたしとYさんは観光局に行って旅行許可証をなんとか取ろうとした。すると、飛行機のチケットを買ってこないと出せないと言う。ラオ航空に行くと許可証がないと売れないと言う。やれやれ。ダメもとで出来たばかりの民間の旅行社に相談すると、ビジネスなら許可証が出るかもという。旅行の理由を「ルアンパバーンの民族音楽の採集」(どこがビジネス?)ということにして申請を依頼してみたら、あっさり許可証を取って来てくれ、チケットも買えた。手数料はわずかだった。

おんぼろのラオ航空機から降り立ったルアンパバーンの町は、静かに沈んでいた。これが1975年までルアンパバーン王国の首都だった町なのか。人影もまばらで外国人が泊まれるホテルは、郊外の高級ホテル1軒と、泊まった中級の旅社ラマホテルのみ。ほかに地元の人が泊まる安宿が2軒あった。ちなみに1週間の滞在中に見かけた外国人は4人のみだった。静かで、暗く、小さな町。外灯も少なくて町自体も暗いのだが、活気もない。朝と夕方には白い霧のようなものが町を覆った。地面から30センチぐらいを覆って漂うそれは、食事の支度のための七輪で炭を熾した煙だった。

街並みは煤け、植民地時代の名残の洋風な建物も壊れかけたり、汚れたりして、美しいとか素晴らしい建築と思った記憶はまったくない。当時はまだヒバリもあまり寂れた建築物に興味がなかったせいかもしれないが‥。息が詰まるような、閉ざされた暗い町、というのがルアンパバーンの印象だった。やがて、ラオスは社会主義ながら開放経済を導入し、94年にタイのノンカイとビエンチャンとの間に橋が架かり、ラオスは全土を外国人観光客に開放した。

その後ルアンパバーンの町は順調に観光地化していったが、ラオス政府と外国のNGO(たぶんフランス)は町並みの保存を進めていたので、94年には世界遺産への申請、95年には認定を受けたことで観光客目当ての乱開発を防ぐことができたようだ。

わたしがルアンパバーンの町を再び訪れたのは2000年の冬だ。町は少しだけしゃれた観光地になっていた。メコン川のほとりには以前と変わらず大木が生い茂り、のんびりとした時間の流れはあまり変わらない。むしろ、住んでいる人たちに余裕と明るさがあって、昔よりずっといいと思った。しかし、その後もYさんは行くのは嫌だと言い張り、やっと一緒に行ったのが今回の旅である。「変わり果ててツーリストタウンになった町なんか見たくない」と言い張るYさん。「いや、昔行った町とはもう別人みたいなもんだから。ツーリストタウンっていってもそれはほんの一部だよ(たぶん)」「う~ん、じゃあ行ってみるか‥」

あんなに文句を言っていたYさんもルアンパバーンの町に着くと「ええとこやん‥もっと早く来ればよかった~」と安心した様子。だから言ったでしょ。でも、2000年に来た時よりも町はさらに変わっていた。古い洋館を利用したカフェやレストランがものすごくたくさん出来て、新しい建物も増えていた。ナイトマーケットも連日開かれていた。裏通りに入ったら、静かで落ち着いた町並みが残っているので、ほっとした。

おいしいという噂のカオソーイ屋に入った。「カオソーイ」はラオス北部では肉みそをのせた米麺のことである。タイ北部のチェンマイでは「カオソーイ」といえば、中国から来たイスラム系商人にルーツがあるココナツカレー麺のことなので、まぎらわしい。もともと「カオソーイ」とは細長い米麺料理のことなので、肉といえば関東では豚肉を、関西では牛を指す、みたいな使い方だと思えばいいかも。

まずは、ミントやバジル、パクチーやクレソン、その他名前の知らないラオスハーブとレタス、生のインゲンが盛られた皿が出てくる。これは麺に混ぜ込んで食べるものだ。この店のハーブ類はどこよりもきれいで瑞々しい。ついで出てきた汁麺もスープが十分に熱く、麺の上にはミートソースみたいなピリ辛の肉みそがのっている。ハーブをちぎってたっぷり混ぜ込み、マナオをきゅっと絞る。まずはスープを一口。「おいしいいい!」麺は白い米麺だが、太さはきしめんを少し薄く細くしたぐらいか。肉みそは豚ミンチだが、ラオス・タイ北部の納豆トゥアナオの匂いがぷんと漂う。

このトゥアナオの匂いがけっこう臭い。いや、納豆好きにはあまり苦にならない匂いであるが、欧米人にはけっこうハードルが高いだろう。チーズは臭くても大丈夫なのにね。この店はトゥアナオをたっぷり使っている。そのぶんコクがあり、肉みそを味わい深くしているのだ。生のハーブと肉みそ、麺を絡ませながらスープと共にいただく。いやいや、このお店はルアンパバーンで1番だよ。

麺を食べながら、年季の入った店内を眺める。納豆の匂いが遠い記憶を呼び戻した。この店には来たことがあるなあ‥。2000年に来たときかも。食べ終わって店のおばちゃんに訊くと、店は22年ぐらいやっているという。気になったことも訊いてみた。「肉みその納豆は乾燥タイプを使うの?それとも柔らかいやつ?」

「柔らかいやつだよ。フエサイから買ってくるんだよ」おお、この店の肉みそに使うトゥアナオはタイとの国境の町フエサイ産なのか。ラオス・タイ北部にはトゥアナオという粘らない納豆がある。タイのチェンマイではそれをつぶして薄いせんべい状にして乾燥させたものしか見たことがないが、ラオスに近づいてくるとチェンライあたりから種類が増える。乾燥していない納豆を半搗きにして塩とトウガラシを加えお団子状にしたものが市場などでもよく売られているのだ。チェンライからさらに東へ進み、メコン川を渡ってラオスのフエサイに入ると、市場で納豆を売っている店がぐっと増える。フエサイはこのあたりの納豆センターなのかも?

乾燥せんべい状納豆は炙ったり揚げたりしてそのまま食べることもできるが、ほとんどがスープのダシに使われる。日本人の納豆の形態のイメージからはかけ離れた姿なので、知っていないと納豆だとはなかなか分からない。柔らかいお団子状の納豆は料理のダシに使うよりは、炒めものなどの調味料や、またはつけ味噌にしてもち米や野菜をつけて食べる。塩がけっこう効かせてあるので、腐らずに熟成して保存も効く。味は、納豆なのだがちょっと味噌のようでもある。粘りのある日本の納豆ではこの熟成納豆は作れないだろうなあ。でもちょっと作ってみたい‥。