犬狼詩集

管啓次郎

  121

ガラス売りの姿を町で見かけなくなった
金魚売りの声が聞こえることもない
打ち水をすることもなく
眠りをもたらす砂男も出てこない
こうして時代に取り残されながら
ビザンチン風の哲学ばかりやっている
でもそれで世界の秘密がわかるわけでもない
朝食用のビスケットに蜂蜜をかけて
饐えた臭いのするソーセージとともに食べる
それをくれと犬の親子が吠える
その犬はかわいいねと白熊がいう
だがヘイエルダールも語っているように
海は広い、極地は遠い
神話をひとつ知るたびに
玉葱の皮を剥くように自分が消えていく
捨てられた玉蜀黍の茎のような光を残して

  122

くもり空だけが見せてくれる光がある
やわらかい灰色の中に眩しさが生まれる
空中に水の中の氷のように溶けこんだ月を
探しあてて矢を放ってごらん
気温と気温のすきまに
たくさんの細い矢がびっしりとささっている
射られたことに気づかず飛び去る鳥に
虹色の羽を一本所望した
それと直接の因果関係はないのだが
逃げ去る黄金虫を捕らえてその身を嚙んでみた
折りたたみ傘に今日の運命を託し
運河沿いの道を歩いていこう
パイオニア広場の名高い grunge girls
だがジミの通った小学校はどこ
ここから湖を泳いでわたり
あひるの後について上陸するのだ

  123

小刻みに意識がとぎれてゆく
空気が薄いせいだ
この飛行は夢を奪う
その引き換えに簡単な冒険心を与える
いつか大胆な transit をめざそう
本来なら八時間もたったはずなのに
わずか十分ほどにしか思えぬまま
飛行機はいつかカラフルな乗用車に変わり
客室乗務員は親切な運転手になる
彼女は髪をほどき
灯台にむかう道を案内してくれるのだ
ほら、いつかの昔の夢につながったでしょ
キューバで伊勢海老を喰って死にかけたきみが
泣きながら海老に謝っている
星空の下でも真黒なブッシュでは
椰子蟹がガサゴソと連れ合いを探している

  124

正当化することのできない順列組み合わせだ
フライトナンバーの影に意味を探すのかい
低家賃の公共住宅には移民ばかりが住んで
かれらの食材には厳格な規定がある
祈りと料理をむすぶ直線と
悲しみにしずむ鴉が飛ぶ直線
どうやっても表現しきれないのが
この筆蝕の粗雑なすきま
フェリーボートの航跡が
またきみの記憶をかき乱す
市場あれ! 港をどれだけ迂回しても
ぐるぐる回る心は距離をものともしない
これからどうやって進んでいこうか
自然河川の曲線を捨ててまで
連結のための最短距離を行くのか
そのとき聞こえるのはカンブリア紀の音

  125

海にむかって目覚めてゆく
河口に近づくにつれて川が
閉ざされていた瞼のように広がっていくのだ
冒険主義的なイルカの群れは
婚姻を避けることなくゆっくりと遡上する
進化の時を、分化の時を
細胞の中にひそむ海を根拠として
月が回転するように確実に
夜光虫に体を光らせて
イルカたちは一頭が一頭を飛び越えて
なんていうのかなあれは「馬跳び」のようにして
次々に上流をめざすらしい
すれちがう動きの中で川がひとつになる
ねむい、ひどくねむい夜だ
ねむってしまえば海峡なんかどこも狭いよね
こうして夜見の国、文字なき読みの国へ