犬狼詩集

管啓次郎

   7

目に見えない情感を語るのが抒情なら
そのための最適の速度をどうやって調整しようか
南方の沙漠から窓辺にやってくる蜂鳥が
空中で静止したり急に方向転換したりするのを見た
ブーゲンヴィリアが炎のように成長する
だが史実はそれ自体としては現在に及ばない
緯度と体感温度の戦いではつねに緯度が敗北する
経度は経典の正統性に非関与に留まる
映像はかつて事実に密着したというが
ペルナンブコの正午の海岸におけるポルトガルの
ユダヤ人とオランダのユダヤ人の口論については
何の情景も覚えてくれなかった
精霊のフィルムは未だに露出を知らない
修道女は私的なカタコンベでの抱擁を拒絶した
名前を知らない十七世紀の果実が道端に落ちて
甘く腐った匂いをいまも漂わせている

   8

鳩が海から帰ってくる
この砂浜の太古からの経験に
枯れた流木が散乱する荒れたさびしさを
小さな足取りで点検するために
灰色の空と鉛色の波のあいだで
光として点滅しつつ
この世界に打ち込まれた懐疑を探している
彼女、荒涼の天使は、そんな懐疑に責任をもつからだ
別の鳩が山から帰ってくる
渓谷を分割する気流の分かれ目をついて
遡上する魚たちの試みを励ますように
生殖の塩のイオン交換を調査したらしい
(群れはこれから梯子により登山する)
広葉樹と針葉樹が陽光をめぐって戦う
その入り組んだ緑を羽根裏に映しながら
彼女はあらゆる懐疑の彼方にふわりと着地する