色川武大という不思議な人

若松恵子

伊集院静氏の最新作『いねむり先生』(集英社)は、色川武大と過ごした日々についての思い出を記した小説だと知り、震災の影響で遅れた発売を待ちかねて早速読んだ。

不思議な読後感で、作者が色川武大と過ごした時間の、夢のなかでのできごとだったような朧な感じが全体に漂っている。この小説を読んで、色川武大がどんなひとだったか、はっきりわかるわけではないし、伊集院氏が何に苦しんでいたのか、それを色川氏がどのように救ったのか、明確な物語の筋があるわけでもなかった。

ただ、ただ、色川武大が傍らにいた時間のまるごとが、温かな記憶として書き留められている。伊集院静、色川武大、2人の風貌を写真で知る私としては、後ろから2人の姿を見ながらついて歩くような感覚で物語の時間を楽しむことができた。色川氏について書くなら、このように描くことが一番ふさわしかったのだろうなと思った。

私が色川武大の作品と出会ったのは、大学を卒業して働き始めたばかりの頃だった。飛び込みの営業をするために家から家を訪問する毎日で、成績も上がらず、街のなかで私は全く途方に暮れていた。当時、担当のまちは葛飾。『花のさかりは地下道で』(1985年/文春文庫)をふと棚から抜き取った金町駅前の本屋さんを今でもよく覚えている。書名に自分の境遇を重ねたのだと思う。

12の短編小説が入ったこの本の表題作「花のさかりは地下道で」には、戦後の混乱期に上野駅の地下道で出会った「アッケラ」という女性の思い出が綴られている。2人はあることをきっかけに心が通じるようになり、街で行きあうたびに独特の親しさを示し合うようになる。「稼いでいるかい」「そっちはどう。ツイてるの」と、短く声を掛けあうだけなのだけれど、「べつに、深い交渉は何もない。身体に触れたわけでもないし、相談事をしたわけでもない。」のに、「ただ、顔を合わせると、お互いに、睦んだような眼の色」になり、「私たちはそこに、味方の眼、味方の声、のようなものを感じていた。それで充分、という気がした。」のだという。この物語を読んでからは、仕事で街を歩いているとき、曲がり角などでふと「稼いでいるかい」という色川武大の架空の声を思い浮かべて、自分を励ますことがあった。そうやって、何とかつらい時期を凌ぐことができたのだった。

それ以降も『怪しい来客簿』『うらおもて人生録』と読むなかで、つねに色川武大のこの独特のやさしい眼差しをみつけることができた。『うらおもて人生録』には、朝、学校に行く途中ですれ違う「くずやさん」の話が出てくる。ごみを収集して集積場までリヤカーを引いていくおおぜいの「くずやさん」のなかに色川少年は贔屓の人をつくる。色川少年が気に入るのは、痩せて、全くうだつのあがらない、ツイていなさそうな人なのだ。そんな人を贔屓にしていたって、何の得にもなりそうもない人から色川少年は目が離せない。どうしても片すみの人に目がいってしまうのだ。負けている方に心寄せてしまうのだ。

色川武大の肖像を見ると、途方に暮れたような大きな瞳が印象的だ。髪も薄いので、その顔は赤ん坊のようにも見える。少し悲しそうで、でも眼に映るものをみんな受け入れているような眼差しだ。彼はもう死んでしまったのだけれど、この眼差しで、どこかで今も見ていてくれるような気がしてしまう。作品のなかに、彼の眼差しが永遠に留められているからそう思うのだろうか。そもそも一度も会ったこともないのに、励まされたと思っているくらいなのだ。作品を通じたつきあいは、ずっと続くということだろうか。

『いねむり先生』の扉にはこんな言葉が掲げられている。
「その人が 
眠っているところを見かけたら
 どうか やさしくしてほしい
その人は ボクらの大切な先生だから」

伊集院氏も私と同じように、また街のどこかで色川武大と出逢えると思っているようだ。色川武大は独特に不思議な存在感を持つ。