製本かい摘みましては(69)

四釜裕子

新井敏記さんの『鏡の荒野』(スイッチ・パブリッシング 2011.4.1)を、東京大田区洗足池のほとりで読む。2010年11月19〜21日、京都造形芸術大学で行われた新井さんの講義をまとめたもので、23人の学生との、話を聞く/紀行文を読む/紀行文を書く、という三日間の”旅”の記録だ。大きさは本文が縦182ミリ×横119ミリで192ページ、糸かがりされており、2ミリほど天地を大きくした表紙カバーがかけてある。林望さんの『謹訳 源氏物語』の装丁に似ているが、こちらは本文の前後に厚みのある紙が数枚貼られており、表紙カバーは一番外側の厚みのある紙を芯として巻き込むことで強度を得ている。いっぽう『鏡の荒野』は、カバーをはずすと無地の本文紙がそのまま出てくる。つまりかたちとしては”カバー”だがその実”表紙”そのもので、巻き込むのに芯となるような厚紙はないからやや頼りない。何度も読むには、背をボンドで貼るか、上製本に仕立ててしまえばいいだろう。そういう誘いをまとう本でもある。

『鏡の荒野』の本文紙は週刊誌などに見られるようなザラ紙系のものだ。私も同系の紙を、あるシリーズの本に使っている。次の刊行がせまり週明けにも印刷会社と打ち合わせをしようとしていた時、東日本大震災が起こった。このシリーズに使う紙を作っていた製紙工場も被災して、今まで通りの紙を使えないことがしばらくしてわかった。印刷会社の担当者が似たような紙を方々から工面して、それぞれのデメリットを示しながら説明してくれる。このシリーズを立ち上げる時、本文紙のほんのわずかの風合いや色、厚さの違いでいくつも束見本を作ってもらったね、最後はどうしても値段がネックになって、それはすなわち在庫の問題だったね……と、当時のやりとりがよみがえる。代替えの紙はまもなく決まったが、他で担当している月刊誌では一冊まるまる同じ紙で代替えすることができず、数カ月にわたっていわば寄せ集めで乗り切ることになった。震災後の刊行号には、早々に読者から紙が変わったことについてコメントが届いた。ニュースで聞き及んでいたのだろう、被災した工場への気遣いと、「本」という物への気づきの言葉だった。

出版科学研究所によると、3月の書籍の新刊点数(取次扱い)は前年同月比6.9%減の5481点、3〜4月発売予定だった雑誌は延期が360点、中止が30点(2011/4/13)とのことだ。理由はそれぞれあるが、在庫していたものが流されたり抄造自体が困難だったり、紙の問題は大きい。いったい本1冊作るのに全部数でどれだけの紙が必要なのか。簡単には想像できないが、せめて1冊の本をばらばらにして、床に並べてみるといい。縦横測ってかけ算した数字を読むのと比べて、大きいか、小さいか。いずれにしても”意外”なのではなかろうか。