えげつなき人々

さとうまき

日中は、45℃を超える。夜になっても温度は下がらない。息を吸い込むと熱風がのどを痛めるから、少しずつ息をする。そして、ここ、北イラクのアルビルは、冷房も停電で効かないことが多い。事務所の前には、下水が流れていて、少し臭いが、この水のおかげで少しばかり気温は、低い気もするが、当然不快感は増す。

イラクとシリアでは、「えげつない」戦争が続き、避難してくる人たちが後を絶たない。

僕は7月、写真家の村田信一とともにヨルダン、イラクを旅していた。おりしも、ワールドカップの決勝トーナメントがはじまり、僕は結果が気になっていたのだが、村田氏は、あまりサッカーには関心がなかった。「もともと、戦争で敵の首をはねて、蹴って勝利を祝うところから発生したみたいですよ」と教えてくれる。俄かには信じられないが、イラクやシリアで勢力を伸ばしている「イスラム国」は、シリア軍や、イラク軍兵士の首を切り落とし、橋の欄干に串刺しにしたり、まるで、オブジェの様に切り落とした首をいくつも並べてワイヤーでつるしている。村田氏は、「なんてこった」とため息をつきながら、毎日のように、そういった映像を見つけては、教えてくれた。僕たちは、イラク難民やシリア難民というくくりではなく、「イスラム国」の恐怖から逃れてきたばかりの人たちのキャンプを訪れた。モスルからアルビルに入る州境の検問所の手前にできたハザールキャンプは、テントの数も足らず、駐車してあるトラックや車の日蔭に集まってぐったりしている人々。ペットボトルの配給があると殺気立って集まってくる人々。またアルビル市内の工場の跡地に避難してきた人々は、豚小屋の様にフェンスだけで仕切られ、いくつもの家族が死んだように折り重なって眠っていた。

「なんてこった!」
僕は、言葉を失い、完全に「人道支援」というものにもやる気をなくしてしまった。そして本当に小さな支援活動しかできなかった。

7月8日になると、イスラエルはガザの空爆を開始した。
「なんてこった!」とため息はさらに深まっていく。
「えげつない」としか言いようのない殺し合いが続いている。

しかし、帰国すると、僕が団体のHPに投稿した「えげつない」殺し合いという言葉は、知らぬ間に、「むごたらしい」と変えられていた。問いただすと、関西弁だからだめだという。

「なんてこった!」
このえげつない世界をどう変えていけるのだろうか?