香りの話

冨岡三智

今回はジャワの儀礼で使われる香りの話。ジャワの宮廷では瞑想する時や儀礼が行われる時にお香を焚く。植木鉢大の素焼きの炭炉にいこった炭を何個も入れ、その上からラトゥスratus(練香)を振りかける。練香は日本の香道に使うような小さな粒ではなく、ピンポン玉くらいの大きさだ。それを指先でほぐして炭の上に振りかけると、煙が上がり、香りも立つ。ラトゥスをそのまま炭に置く人もいた気がする。煙が上がるということは、お香が燃えているということ。お香係の人は炭を団扇であおぎ続け、火力を落とさないようにする。お焼香をもっとワイルドに、盛大にした感じと言えるかもしれない。

それは祈りのためではあるけれど、辺り一面に香りが漂うので、空薫(そらだき)のような機能も持っている。空薫とは空間に香りを漂わせること。日本の香道では、いこした炭を灰にうずめて灰を熱くした後、その灰の上に練香や香木を載せて香りを立たせる。つまり、間接熱で香り成分を抽出する。お香を直接燃やすわけではないから、煙が立つことはない。

ラトゥスはバティック(ジャワ更紗)に香りを焚き染める時にも使う。私が王宮でお世話になった人は、両親も王宮で働いていて、その係だったという。日本では、香炉の周りに伏籠(ふせご)という名の、蒔絵の施されたような雅な道具を置き、その上に着物を置いて香を焚きしめるのだが、ジャワでは、闘鶏を入れておくサイズの竹籠(シントレンという芸能や、子供が大地に足を付ける儀式でも使う、能の道成寺の鐘くらいの大きさだと思う)を使い、その中に香炉というか炭炉を置き、籠にバティックを置いて焚き染める。

瞑想といえばムニャンmenyan(乳香)もよく使われる。私はラトゥスは王宮で分けてもらっていたけれど、ラトゥスやムニャンはパサール・クンバン(花市場)に行けば売っている。ムニャンも買って自分でも焚いてみたことがあるのだが、強い刺激臭があって私には使いこなせなかった。ちなみに、ジャワのガムラン音楽の曲で「ムニャン・コバル」という大曲がある。「乳香がくゆる」というような意味で、お供えとしての意味合いの強い曲だろうか…と思ったりする。

他に香るものと言えば、クンバン・スタマンkembang setaman。「花の園」という意味で、紅白のバラ、ジャスミン、カンティル、クノンゴなどの花を、花の部分だけ(茎は使わない)、バナナの葉っぱに盛ってお供えにする。また、バラの花びらを水に浮かべたお供えもそう呼ぶ。私が王宮の人に聞いたところでは、霊はただの水より香りの良い水を好むのだと言う。

ジャワの儀礼ではさまざまな香りが空間を満たしている。部屋の入口の隅にはクンバン・スタマンが置かれ、儀礼が滞りなく終わるよう、お香を焚いて祈る女性たちがいる。霊力のある柱などにも、特別に祈りが捧げられる。舞踊が奉納されれば(舞踊もまた供物の1つなのだ)、踊り手は髪にジャスミンの花で編んだ飾りをつけたり、裾を引き摺るように着付けたバティックの裾の中に紅白のバラの花びらを巻き込んだりする。踊って裾が蹴られるたびに散華のように花びらがこぼれ、香りが立つ。衣裳にも香りが焚き染められている…。こんな贅沢な香りの使い方は日本では見られない。