13のレクイエム ヘレン・モーガン(1)

浜野サトル

  
ミステリ小説の中でミステリに出合うことがある。
といえば当たり前だという声が聞こえてきそうだが、後者の「ミステリ」は小説が追求する「謎」そのものを指すのではない。読者としてよりも訳者としての場合がより印象が強いのだが、小説を構成するもろもろの要素の中に全くの未知のものがあって、それがミステリアスな興趣を呼ぶということである。
ヘレン・モーガンの場合がそうだった。僕がミステリ小説の訳者をつとめていたのは1970年代の終わりから80年代初頭のほんの数年間、作品でいえばわずか4〜5点だからたいしたことはないのだが、その中でつきあたった最大のミステリが、この女性シンガーの存在だった。

ミステリの贈り主は、ローレン・D・エスルマンである。
アメリカ合衆国北部で活動するエスルマンは、刑事事件を専門に手がけるジャーナリストとして生計を立てながら書き出したウェスタン小説で知られるようになり、やがてハードボイルド・ミステリの分野に進出してきた作家。その作風は一言でいえば「B級映画風」の味わいであり、つまりは道具立てや展開の目新しさはなく、どこかで読んだことがあるという感じがつきまとう作品を書く。ヘレン・モーガンが唐突に登場するのもまた、実にB級映画的な場面でのことだった。

 私はキッチンに入って小ぶりのずん胴型のグラス二つに水を流しこみ、ハイラム・ウォーカーズで色をつけた。グラスを手に居間へもどると、カレンは安物のステレオのかたわらに立って、オープン・キャビネットに並べてあるレコードを所在なげにめくっていた。
「一風変わったコレクションね。聞いたことのない歌手が何人かいるわ」
「きみが生まれるころにはもう死んだあとだった歌手もいるよ」
「どれか聴かせてもらえて?」
「好きなのを選ぶといい」
 カレンはまた何枚かめくって一枚ぬき出し、ジャケット写真にしげしげと見入った。「きれいな人ね。なんて繊細な顔立ちかしら。他人のせいでつらい思いをしたことがありそうね」

(『シュガータウン』ハヤカワ・ミステリ、1981年、拙訳)

デトロイトの私立探偵エイモス・ウォーカーが、不意に家を訪ねてきた依頼人の老婦人の介護士カレンとの恋に落ちる、ロマンティックな場面である。そして、小説の叙述は続く。

 ヘレン・モーガンだった。私が訊いた。「つらい思いをしたなんて、どうしてわかるんだい?」
「花びらが踏みにじられた、という顔だもの。少なくともこの写真ではね」彼女が、指先でジャケットをたたく。
「聴いてみるといい。ターンテーブルにのせればすむことだ」
「ありがと」とそっけなく言ってレコード盤をぬきとり、ターンテーブルのスピンドルにはめこむと、彼女は”ON”のスイッチに手をふれた。ヘレン・モーガンが声をふるわした。
「悲しい声だわ」私のさし出したグラスがその手にわたった。
 私はグラスをかかげて、「死せる歌手の歌に」
「歌に」

音楽が日常生活という雑音の中で響くように、小説=ロマンは日常生活の雑事があって成り立つ。そして、この作品の語り手でもある主人公の日常生活を彩る一人の歌い手。しかし、その名は、訳者である僕には初耳だった。
ヘレン・モーガン?
小説で描かれるのは、もちろん絵空事である。しかし、ヘレン・モーガンをめぐるエスルマンの叙述には、この歌い手に対する愛情と哀惜が、うっすらとではあるがにじんでいる。それが架空の人物とはとても思えなかった。
ヘレン・モーガン? 誰なんだ、この歌手は?

  
翻訳者の仕事は、その作品の最良の読者となることである。叙述に関しては細部まで正確に把握し、理解しておかなくてはならない。場面の光景や小道具の一つが作品のキーになることだってある。ましてや意味ありげに引き合いに出された歌手の名だ、どんな人物なのか知る必要があるし、わかったことは何らかの形で読者に提供する義務がある。
しかし、ヘレン・モーガンについては皆目わからなかった。音楽に関係した仕事を長く続けてきたせいで、周りにはうるさ型の聴き手がいくらでもいる。だから、これと思う人物をつかまえては聞いてみた。名前さえ誰も知らなかった。
音楽事典の部類にもあたってみた。ペンギン・ブックスの事典が一番役に立つと聞けば、買ってきて開いたりした。しかし、ここでもすべて空振りだった。こうして、ヘレン・モーガンはまさしくミステリ=謎となった。

その謎がすっと解けたのは、それから15年ほどたってからだった。
道具になったのは、インターネットである。コンピュータ・ネットワーク以前の資料、例えば図書館では、ある程度知りたいことの輪郭がつかめていないと調べようがない。これに対して、ネットではキーワードを1つ放り込めば、関連性のあるページや項目がいくらでも出てくる。
あるとき、試みにHelen Morganと入力して検索をかけると、たくさんの情報が得られた。まずは、”Helen Morgan Story”という何か作品の標題らしき文字列が表示された。ホームページのタイトルでないのは、そのあとに続くAmazon.com…という表示から察知できた。アクセスすると、劇場映画を収録したビデオのタイトルだった。
ほとんどがアメリカのサイトだが、ほかにもヘレン・モーガンに関する短い叙述が多数あった。それらをひろっていくと、彼女がどんな人物なのか、霧が少しずつ晴れるようにして浮かび上がってきた。

――1927年、のちにはブロードウェイでロングランとなるミュージカル『ショー・ボート』に主演。花形スターとなる。

――歌手として多くのレコーディングを残した。「ビル」「ホワイ・ワズ・アイ・ボーン?」などが大ヒットを記録。

――コーラスの一員として出発し、クラブ・シンガーとして成功。『ショー・ボート』『スウィート・アデライン』の主役として脚光を浴びた。

――禁酒法下のアメリカでミュージカルの出演と並行して、自らが経営するクラブで歌い続けるなど、エネルギッシュな活動を続けた。

――1900年、カナダのトロントに生まれた。舞台を去ってから重度のアルコール中毒となり、42年に肝硬変で死去。

これらの断片的な情報は、いってみれば「点」である。人の一生を把握するには、その点と点をつなげて「線」にしなくてはならない。
しかし、ヘレン・モーガンに関して、点を線にすることは難しかった。例えば、人もうらやむまばゆい成功を手にした彼女は、なぜアルコール中毒に深く染まってしまったのか? 人の数倍ものエネルギーを費やして猛烈に働き続けた彼女が欲しがっていたのは、いったい何だったのか?
ヘレン・モーガンはやはり「ミステリ」だった。

(続く)

※参照=CD『More Than You Know/Ruth Etting & Helen Morgan』
    The HELEN MORGAN Page