仙台ネイティブのつぶやき(47)絵本の中で

西大立目祥子

 じぶんがどうやって文字を覚えたのか、はっきりとした記憶がない。だれかが、たとえば父や母が「これは“あ”。これは“い”」というように五十音を一文字ずつ教えてくれたのだろうか。それともひらがなの本を読み聞かせてもらっているうちに何となく身につけたのだろうか。

 文字を覚えて自力で本を一冊読み終えたときの感動は、いまもじぶんの中にくっきりと残っている。5歳くらいのことだったろうか、叔母がクリスマスにグリム童話をプレゼントとしてくれたことがあった。それはそれまでなじんでいた色付きの絵本とは違って文字だけで書かれた分厚い本で、ところどころに殺風景な挿画が入っているだけ。文字の読めない幼児には文章はただの黒いシミの羅列でしかなく、ぱらぱらとめくって放り出した。

 それからどれくらい経ってからのことだろう。あるときその本を引っ張り出して読み始めた私はたちまち物語に引き込まれ、黒いシミの向こうに壮大な世界が広がっていることに驚きながら本を閉じたのだった。本という紙で閉じられたモノが持っているすごさと大きさに、幼いながら感動させられたのだと思う。

 ちょうど文字を覚えつつあった時期、6歳のころに読んで、いや正確にはたぶん母に読みかせてもらっていまだに忘れられないのが、幼稚園に毎月届くのを楽しみに待っていた絵本「キンダーブック」だ。大判の薄い冊子のような体裁の本は月替わりで内容が変わったのだけれど、中でも「オッペルと象」と「シュバイツァー博士」は、いまだに絵の細部とともに、ページを繰るごとに揺り動かされた生々しい感情が残っている。子どもの眼力と記憶力は大人が想像する以上なのかもしれない。

 「オッペルと象」では、強欲の農夫オッペル(当時は“オッベル”ではなくこう表記されていたと思う)の小屋に足を踏み入れた大きな白象が、オッペルにいわれるままに働き始める。白象は働くことがよろこびなのだ。そこにつけこむずる賢いオッペルは、つぎつぎときびしく仕事をいいつけながら逃げられないよう象の足に錘をつけたり鎖をくくりつけて食事の量を減らしていく。

 真っ白い大きな象のからだは、ページをめくるたびやせ細っていき、細くなった足にはますます重たさを増したように錘がぶら下がる。象の顔から笑いが消えて、目からは涙がしたたり落ちる。幼い私は白象がかわいそうでかわいそうで身がよじれるようだった。子供心に大きなナゾだったのは、白象がオッペルを憎まずに祈ることだった。弱り切った象は夜、月を見上げて「サンタマリア」というのだ。マリア様なら知っていた。幼稚園の朝の礼拝や食事の前には、みんなで手を合わせ祈っていたから。

 象が助けを求める手紙を書いて、森からどーっと仲間の象たちがオッペルをやっつけにやってきて、白象は仲間に救い出される。たくさんの象が長い鼻をすり寄せてよろこび合う最後のページまできて、息を詰めるようにして白象にじぶんを重ねていた6歳の私もようやく救われた。もしあのまま白象が死んでしまったら、私の世界も終わるように感じたかもしれない。

 「シュヴァイツァー博士」では、勉強をし直してアフリカに渡り病気の人々を助ける博士が描かれる。明るい日の光の下で新しい診療所の工事を指示する姿や、ケガをした男の子の手当をし動物にも愛情を持って接するようすに、幼かった私は心打たれた。そして、最後のページでは、漆黒の窓辺を背景に明かりの下、白髪や白髭にふちどられた横顔が浮かぶ絵に、博士は音楽家でもあって夜はオルガンの練習をするのです、というような文章が添えてあって物語は閉じられる。ここまでお話を読み聞かせてもらって、「尊敬」というような難しいことばは知らなくても、ひたひたとあこがれのような感情に満たされたのだった。

 中でも何とも魅力的に映ったのは、博士が診療に忙しく過ごす昼の顔と、ひとりオルガンに向かって稽古する夜の顔を持っていることだった。6歳の子どもにそんなことがわかったのだろうか、と大人になった私は疑いたくもなるのだけれど、でもあのときの私は確かに2つの時間を生きる博士を何ともステキだと感じたのだ。親にも話さずに私はそっと胸の底に「シュヴァイツァー博士」の名前を押し込めて毎日を過ごし、ときどきアフリカの青い空を思い浮かべたりしていた。

 9歳になった1965年の9月初めの朝のことだ。学校に出かけようとしていたときに、テレビを見ていた父が「あ、シュヴァイツァーが亡くなった」といったので画面をみると、白黒のテロップに「シュヴァイツァー博士死去」とあった。ショックだった。もう私が尊敬する人はこの世にはいないんだと思いながら、とぼとぼ学校に歩いていった記憶がある。

 それから25年くらいが過ぎて、私はある古書市でこの「キンダーブック」に再会した。発行は昭和37年。A4版でわずかに16ページ。表紙には「しゅばいつぁーはかせ」とあって、中の文字はすべてひらがな。幼稚園の1年間に「キンダーブック」を読んでもらいながら、私はひらながを習得していったのかもしれない。

 各ページの絵は、記憶の中の絵と少し違っていた。でも最後の窓辺でオルガンを引く博士の横顔は記憶どおりだった。文章は「はかせは、おるがんのめいじんです。まいばんけいこをしています。」とある。博士への尊敬を決定的にした文は、こんなにシンプルなものだったのだ。子どもは絵と文を激しく増幅させて、その世界へと入り込むのかもしれない。大人はもうこういう読書はできないだろう。

 わきにはごくごく小さな文字で、出版元であるフレーベル館の顧問の坂元彦太郎という人の企画意図が「博士へのあこがれを胸にきざみこんでおけば、やがてはそれぞれの胸の中でゆたかに開花する日のあることと、期待しているのです。」と記されている。

 うーん。確かに胸には深く刻まれた。でも開花はしていない。博士へのあこがれはいまもあって、それはどんなにへたくそでもいいから、夜の窓辺で博士のようにバッハを稽古することなのです。