176 その古い話が終る

藤井貞和

その古い話が終る。 土間(どま)の神は去り、
鍋が割られる。 さいごのスープを、
地面へこぼすと、もう(地面の)口はひらかれることがない、
古い話は終わる。 さいごの餅も、小豆(あずき)も、
いまでは語り草(かたりぐさ)。 知らない人ばかりがあつまり、
祈りを忘れる。 その少年に、かまど(竈)は、
さいごのことばを教える。 でも、それは、
火の神の遺言である。 「よく聞きなさい。 すぐにここを、
出るのです。 見ていなさい、何かが起きるから!」

少年の火は、石と石とをたたき合わすだけだし、枯れ枝を
燃え上がらせても、さいわいに雨が降って消すことを告げる。
どんな捧げ物も最初、火に捧げました。  
食物の一掬いを、捧げました。 感謝の祈りとともに。

みかる(見軽)という名の少年が、義父のところへ行く途中、
わしい(鷲)の家を訪ねます。 客人はたいせつにしなければね。
ところが、おどろいたことに、わしいの家の、
女主人は鍋から一掬いを火に注がなかったのです。
みかるは自分のために出されたテーブルの上のスープを、
カップからそっと、一掬い、火に注ぎました。

夜中、みかるは目を醒まします。 弱い、けぶったような光の向こう、
炉のかたわらに痩せた男の子がすわっています。
こうつぶやくのです、「ぼくは、ここで痩せてしまった。 だれも、
食べものをくれないのだ。 いつもおなかをすかせている。 
麦のスープをくれたのはあなたがはじめてだ。 これに対して、
お礼をしますよ。 よく聞きなさい。 すぐにここを、
出るのです。 見ていなさい、何かが起きるから!」

みかるは身震いして、わしいに挨拶もせずに、
そとへ出ました。 振り返ると、
わしいの小屋はほのおに包まれていたと、ふるい神話のような、
昔語りです。 ことばの継ぎ目に、まだ残されたことばがあるなんて。
「よく聞きなさい。 すぐにここを出るのです。 見ていなさい、
何かが起きるから!」

(ヤクートの神話の、舞台を変えて改作です。現代詩の危機って、ほんとうにあるのですね。)