仙台ネイティブのつぶやき(9)雑煮のしたく

西大立目祥子

仙台雑煮のだしは、焼きハゼでひく。秋口に入ったら、松島湾に出かけ…と書きたいところだけれど、そこまではできていない。でも、父が元気だったころは、釣ってきたハゼのワタをとり、ガスコンロであぶって天日にさらし、年末まで大事に保存しておいて使っていたこともあった。

焼きハゼは貴重品なので、毎年のことながら店頭の藁に吊るされたどこかユーモラスなその姿をながめては、ここで決めていいものか逡巡する。一連10匹で、数千円。もうちょっと安いところはないかと、つい思ってしまうのだ。東日本大震災以降、ハゼは不漁になっていてますますの高上り。今年は特に深刻らしく、クリスマスを過ぎても店先に並んでいなかった。

「近くのスーパーで5匹で5千円くらいだったよ」とか、いろいろ情報が飛び交う中、最終決断したのは29日。仙台駅前の市場で5匹で2,500円なり。焼きハゼが手に入ると、毎年ほっとした気分になる。

この焼きハゼを30日の夜に水を張った鍋に放り込んでおいて、大晦日、あらかたおせちの準備がすんだころにとろ火にかける。鍋が熱せられてくると、やがて台所にいい匂いが立ち込めてくる。白身魚のやさしい香りと炭火でいぶされた香りが入り混じる、独特の風味だ。鍋の中は金色のだしに生まれ変わっている。ああ、今年も終わったとひと段落ついた気持ちと、でもそれがまた新年の始まりになると気づかされるような気持ちでのぞき込む鍋だ。

具は大根、ニンジン、芋がら、凍み豆腐。大根とニンジンは千切りにして、冷凍してから使う。一度凍らせるとくたくたになって、だしがよく染みこむのだ。子どものころは冷凍庫が普及していなかったので、親に「庭に出してきて」とザルに入った引き菜を預けられ、子ども心にどこにおけばよく凍るだろ、と思案したものだ。

芋がらは里芋の茎を干したもの。毎年、乾燥してひも状になっているのを買っていたのだけれど、今年は長さ1メートル、太いところで直径5センチもあるような生のものが10本ほど束になってなじみの八百屋の店頭に積まれているのを見つけた。なかなかに迫力ある姿だ。でもいったい、いまどき乾燥させる手間をかける人がいるのだろうか。そうたずねたら「いないねえ」とひと言。なんだかそのひと言に刺激されて大きな束を買い込み、皮をむいて洗濯ハンガーのピンチにぶら下げておいたら、11月は好天続きであっという間に乾いた。1、2センチに切って使う。

凍み豆腐は、宮城県岩出山産と決まっている。ここは伊達政宗が仙台に城下町を築く前に城を置いたところだ。いまは小さな田舎町だけれど、凍み豆腐と麹づくりが盛ん。数軒の店が昔ながらの製法を守っている。ここの凍み豆腐は、よく売られている高野豆腐よりずっと小さくて、3、4センチ角、厚さは5ミリくらい。これを細く切って、具に加える。
だしは醤油仕立てにする。
ここまでを大晦日にすませておけば、万全の元日が迎えられる。

そうして迎えた元日。角餅をきつね色に焼いたら大きめの椀の底に入れ、熱くした具がたっぷりの汁を注ぎ入れる。そしてその上に、紅白の板かま、黄色の伊達巻、ピンク色の模様が入った鳴門巻を厚めに切ってのせ、さらに緑のセリを加え、最後にひとさじつややかな赤いイクラを仕上げに飾ってできあがり。華やかでめでたい気分を誘うひと椀だ。

伊達者ということばは、伊達藩の武士たちのあでやかな装束に由来するともいわれているけれど、たしかに見た目の華やかさという点では、雑煮もどこかカッコツケのこの街に通じるものがあるかもしれない。

ほかにつくるのは、すき昆布、長もやし、ニンジン、油揚げ、凍み豆腐を細く切って煮た、仙台五目引き菜。これは祭りなどのときつくられてきた郷土料理だ。ニンジン、ゴボウ、里芋、こんにゃく、凍み豆腐、シイタケ、タケノコでつくる煮しめ。そのほか、ゴボウやニンジンを鶏肉で巻いたチキンロール、年に一度だけどかんと豚の三枚肉を買い込みつくる角煮など。そしてつくった料理は、毎年、友だちとトレードする。3品つくっても6品になるというわけだ。

こうした料理を食べるのは、大晦日である。「年取りの膳」としてごちそうを並べお酒を飲む。昔は年齢は数えで数えたから、この日にそれぞれ1歳ずつ年を取るということなのだ。

さて、2016年の元日は、全然万全じゃない。この稿を書きながら、昨日ひいたハゼだしを温め直していて、これから味を決めなくては。昨日の年取りで、ついに大台にのったというのになあ。また1年、ぼろぼと荷物を落としながら行くのだろうか。

みなさま、明けましておめでとうございます。どうぞよいお正月を!