海老名発、辻堂経由、その後、青空文庫

大野晋

その後、海老名に図書館を見に行ってみた。毎日、報道で図書館を巡る様々な事柄が伝えられる中、選挙を前にした市長が状況の収拾に乗り出したらしいことは報道で知った。日々の噂では、初期の混沌とした状況からは脱したらしいことは聞いていた。

どうやら、海老名のツタヤ図書館は言えばできる子らしく、状態は好転していた。棚の混沌とした状態は個人宅の本棚くらいの状態になっていた。まるでバラバラだった高層部分の書架も下の書架と繋がるように移動中のようだ。図書館員を呼ぶしかなかった高層部分へのアクセスも地下以外の各階に踏み台が用意されていた。最初からそうしておけば、ここまでの騒ぎにならなかったと思えるのが残念だ。

言えばわかる子らしいのでもう少し言うと、世の中には読み物にする本と調べものに使う本がある。読み物に使わない本は貸し出されることなんてほとんどない。そうした本は貸出回数で利用頻度を測るのではなく、調べものに探された回数や館内で使用された回数、そして他の図書館にないことで測られるべきなのだ。そうした本は発見性の対象にはならないし、なるべく探しやすくして置かなければならない。そのために、共通性を持ったNDC分類を使ったり、貸出禁止にしたり、長期にわたって収蔵したりする。少なくとも、海老名中央図書館の蔵書を見るとそうした目的の蔵書が結構ある。そこが、売りきりの本を取り扱う書店と図書館の大きな違いだ。だから、基本はNDC分類でよかったのだ。無理に崩す必要はない。それは閉架に納められている本だって一緒で、書架に置くことで混沌としたり、いらないスペースを取られたりするのであれば、圧縮型の閉架式の書架に置くことも必要な対策だ。逆に出すのであれば、出さない以上の網羅性を持った書籍の収集が必要になる。実際に見る海老名の図書館にはそこまでの書籍量はないし、そうした徹底した収集方針で集められた形跡はない。ならば、書架に出す情報は編集するしかない。その編集手腕が司書の腕の見せ所のはずだ。

ライフスタイル分類とされた書架のデザインだってそのひとつで、こうした書架は分類ではなく、書架のディスプレイとして利用者に提示するものだ。どうせ、数ヶ月もすれば変わった並び順の書架も慣れられてしまう。だから、数ヶ月ごとに見直す必要がある。店頭は定期的に見直されてこそ新鮮味がある。それは図書館のディスプレイでも同じことなのだ。その辺の企画棚のデザインと書架の分類を混同しているところがツタヤ図書館の問題の原因だと思う。結局は生煮えの企画段階で現出させてしまったことに大きな問題があるし、問題があるのに指摘に対して素直に向き直れなかったことが問題を大きく、長引かせてしまった原因だろう。

後日、辻堂のT−Site、いわゆるCCCの経営する蔦屋書店を中核にしたショッピングセンターに行ってみた。もともとツタヤ図書館がそのコンセプトにしたように非常によく似た雰囲気を持つ、ジャンル分けした棚と喫茶できる空間などが混在する商空間である。同じようなジャンル分けされた棚なのは変わらないが、こちらは現在販売中の書籍リストから選抜されたリストなので比較的趣旨が分かりやすい。逆に言うと、特に強い関連性を持たない図書館の蔵書に対して行うと趣旨が見えなくなるのは必然な陳列方法である。
まあ、現役の書籍から陳列する書籍を選んでこれる蔦屋書店にしても最低でも数ヶ月に一度は棚のリニューアルをしないと面白味を失ってしまうように思える。やはり、陳列の一方法であっても、恒久的な棚の分類には向いていない。

話は変わるが、TPPで青空文庫がなくなると大騒ぎだったネットでは二つの誤解が流布されている。ひとつは、著作権保護期間の20年延長で青空文庫で公開されている著作物が公開できなくなるというものだ。まあ、不安になる気持ちもわからないでもないが、一般的にこうした場合にはすでに権利を失ったものが復活するということはない。これは関連する問題の影響を最小限にするための処置で、たとえば、著作権に関して言えば、1970年代の改訂でなくなった10年留保という日本限定の制度は、改訂された今でも1970年代以前の著作には有効で、出版から10年以上たっても日本で翻訳されなかった海外の著作は元著作権者の承諾を得ずに翻訳出版できている。おそらく、50年から70年への延長があったとしても過去の著作物に波及されることはない。そうでなくても、TPPは加盟各国の法制度の違いを包含した上の条約で、EUの経済統合とは違う点である。

もうひとつの誤解は、現状の青空文庫の2016年に著作権保護の切れる著作物への対応だ。あるネットのニュースサイトによれば、青空文庫はTPPの決定を受けて駆け込みで2016年著作権切れ作品の登録を急いでいるのだそうだ。
これも残念だが、青空文庫は通常営業のままである。いつも、この時期に次年に初公開となる著者の作業リストが公開になる。これは、出版サイドも含めた著作権側への配慮も兼ねている。(そうは言っても内部の作業中リストはその前からずっと更新されてはいる。)このため、年末に急にリストが現れるように見えるが実はずっとそんな感じで作業はつれづれと動いている。ちなみに、過去の例で言うと、吉川英治や銭形平治の野村胡堂の時の方が作業中のリストは長かったはずである。

すでに著作権切れ以前から多様なバリエーションが許されてきた江戸川乱歩だが、来年からもっと多様な展開が期待できるため、楽しみにしている。著作権保護期間が切れるということは、単純にネットで読める、青空文庫で読めるという意味だけでなく、その著作物を活用してより多様な利用が可能になるということだ。だから、利用できることの意味があり、孤児著作物の問題が大きいのだ。

さて、その江戸川乱歩だが、多くの小説は戦前に執筆されている。戦後はもっぱら、戦争中に禁止された探偵小説やミステリーの復権や普及、そして未来の読者である子供向けミステリーの執筆をしていたということだ。その江戸川乱歩の描いたポプラ社の少年探偵団ものを読んで育ったミステリーファンからは、この著作権保護期間が延びる時期に江戸川乱歩が滑り込んできたことに、まるで自らの著作を公開することで一層のミステリーブームを起こそうとするようで、不思議な縁を感じてしまう。江戸川乱歩という大きなコンテンツを得ることで、今後のコンテンツ活用の未来は、少なくともミステリーに関しては安泰のように思える。

最後に、コンテンツの活用で思い出したが、現在、出版の世界ではジュブナイルが好調のようだ。そこで、有島武郎の未完の青春群像劇である「星座」を誰かが補完してコミカライズしはしないものだろうか? 第一部だけしか書かれなかったこのお話はそれでも魅力的な登場人物に溢れている。時代の濁流に飲み込まれていくであろう彼らのその後に思いを馳せながら、続きの物語が描かれることを夢見よう。そう著作権は自由なのだ!