しもた屋之噺(200)

杉山洋一

数日前には酷い雷雨が襲ってきて、少しの間停電しました。この位の雷雨は、ミラノにいれば怖いと思う程ではないし、いつも普通にやり過ごしているのに、どうして東京で目の当たりにすると怖い気がするのか不思議でした。拙宅のマンションは事なきを得ましたが、両親の家のテレビは落雷で安全装置が働いて消えてしまい、道路を隔てた向かいのマンションは、断水してしまいました。
異常気象、地球温暖化、地震の活動期、さまざまな言葉が飛交っていて思い出したのは、最近読み始めた山本太郎著「抗生物質と人間」マイクロバイオームの危機、で触れられている抗生物質と耐性菌の話。抗生物質の乱用で耐性菌が台頭することにより、抗生物質発明前と比較して死亡率の推移はどのようになっているか、そんな話をちょうど読んでいるところでした。

現在まで無数の技術革新を繰返しながら、わたしたちが手にしたものの実体は何か。機械に繋げた豚の脳が何時間生存とか、夢を見ない鼠発明などのニュースを聴くにつけ、それら最新技術の恩恵にあずかる自らを自覚しつつ、最近は恐ろしさが先に頭に浮かぶのは、歳をとった証拠かもしれません。ただ、古来我々人間は常にこの「踏み込んではいけない一歩」の畏怖に震えつつ、現在に至ることは理解しているつもりです。
そう言えば、先日渋谷君が指揮者ロボットにオーケストラを指揮させるイヴェントを企画していたそうだけれど、寧ろ反対に、川島君か足立さんにAIのロボットオーケストラを指揮して貰って、彼らの理解を越えたジェスチャーでロボットの困惑した音響を引き出しても、AIが感情を持たない現在なら未だ笑って見ていられるかも知れません。

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8月某日 三軒茶屋自宅
昨日今日と松平さんオペラ初稽古。昨日は読み合わせで、言葉の処理や音取り。今日は早速登場人物の性格作りに入る。二日とも松平さんが稽古に参加して下さったので、疑問点はほぼ全て解消。指定のテンポと、指示された場面描写、歌いやすさなどを鑑みつつ、幾つか大胆な提案もさせて頂いた。歌手の皆さんもピアノの藤田さんも、動じることなく応じて下さり感謝。実に面白いオペラで、聴いている方は思いの外聴きやすく覚えやすい旋律も散見されるが、演奏するのは実にむつかしい。とても松平さんらしい手の込んだ造りになっていて、内容が何しろ尖っている。
チラシの宣伝文句に「当作品は日本を舞台がないことを明確にするべく英語上演」と態々注記されているのは、松平さんのリクエスト。尖っていて、恰好良い。松平さんのシャイさと尖り加減の絶妙なバランスは日本現代音楽界の忌野清志郎、などと独り言ちつつ北叟笑む。

8月某日 三軒茶屋自宅
安江さんと加藤くんの悠治さんのドレス・リハーサルを聴きながら、リストの譜読み。頭を捻りつつシューベルト・リストの和音を分析していた。悠治さんの、特に最近の作品に於いては、複数の演奏家が相互に有機的に関わる必要がある場合、フレーズとして全体を纏め上げることは好ましくないのかもしれない。時間軸に沿って、全体を一つの袋に収めてしまうより、袋を破って空気中に粒子をばら撒くと、違いが勝手にぶつかり合って有機的な反応を起こす、それを期待しているように見える。
拙作の方は、特に二日目は丁々発止がよい塩梅で愉しい。リハーサルに於いて「聴いて反応する」行為と「聴きながら共に進む」行為は全く違い、後者を期待して作曲したが、言葉や楽譜表記でこれら二つの行為を正しく規定するのはむつかしい。
後者は、薄い風の中で、自らが発した音は風に任せて、二人で歩を進みつつひたすらに新しい音を紡ぎ続けるイメージ。

朝、三軒茶屋駅前の喫茶室「伽羅」で、仲宗根さんにお目にかかる。日頃から気になっている愚門の数々をさんざん投げ掛けてしまったが、一つ一つにとても丁寧に答えて下さり、すっかり感激する。今日の安江さんたちの拙作原曲には、伽羅の枕。「夕べよ夢に出たエ、めでたい夢は伽羅の枕で、繻子の夜具。金の屏風で十七と見たと思ったら、あらアエ目が覚めた」。視覚、嗅覚、触覚に訴える、立ち上るような桃源郷の描写。何時から我々は薄っぺらい言葉と、即物的な感覚ばかりに絡み取られてしまったのか。

8月某日 ボルツァーノホテル
ハイドン・オーケストラとは昨年の細川さんのオペラ以来だから一年ぶりの再会。暑いけれど皆元気で嬉しい。3回同じプログラムで演奏したけれど、毎回違うアプローチで演奏したので、厭きることがない。ベートーヴェンをこんな風に一緒に演奏できる幸せ。それぞれの演奏者と、音を通じて会話する愉しみ。
ダヴィデとは昔何度もモーツァルトの協奏曲を一緒に演奏したけれど、気が付くとあれからすっかり時間が経っていた。今回はリハーサルに息子を連れてやってきた。リスト版シューベルトは、初めどの演奏者にも不評だったが、一度演奏会で演奏して全貌が掴めると、独特の魅力を兼ね備えていると理解されたようだ。リハーサル以外の時間は、ホテルで一晩中新作の浄書をしていて、疲労と時差ボケで、最初の演奏会に出かけるバスに乗遅れそうになった。
二晩目、三晩目は、ガルダ湖の畔まで遠征。バスで片道3時間かけて出かけ、ボルツァーノの山から下りて、ミラノのあるロンバルディア州までやってくる。ムッソリーニが大戦末期に建国した「サロ共和国」のあたりは、恐らく当時岩を削って造ったと思しき、本当に細いへろへろの道が続き、眼前には目を疑うような美しさを誇る、紺碧の湖面。静謐な水面と、男性的に切立った岩肌の対比にも目を奪われる。芸術監督のダニエレは「明日の夜は聖ロレンツォ。パスコリの詩の通り、流れ星に願いをかけよう」とすこぶる機嫌がいい。

8月某日 三軒茶屋自宅
秋吉台から東京に戻ると、家人が悠治さんのメタテーシスをゆっくりさらっている。録音で聴くと点の雲に見える部分が、線状に繋がり旋律に聴こえ、それぞれが思いの外旋法の響きを伴う。
家人曰く「花筐に似ている」のだそうで、ピアノの手癖がそっくりだと言う。数的操作を使っても使わなくても、定着するときには書き手の個性を通して定着される。
お元気になられた湯浅先生が、玲奈さんと一緒に二年ぶりに秋吉台を訪ねて下さった。久しぶりのご訪問に関係者、参加者誰もが揃って感激していて、湯浅先生の講演は宝物にしようとこっそり録音した。「今までお話してきたことの最後に、一番言いたかったことをお伝えしたいと思います」、と湯浅先生らしく、温かい人柄から溢れるように淡々と言葉を紡がれる姿が印象に残り、心の琴線に触れた。湯浅先生や近藤先生の作品を集めて演奏会が開かれたのだが、そこでの演奏者と作曲者、聴衆との温かい触合いに、積重ねられてきた時間の重みを感じる。

こちらはと言えば、自分のレッスン以外は殆ど部屋から外出もせず、ひたすら机に向かって芥川の譜読みをしていて、最早、自分でも寝ているのか起きているのかも判然としない。
そんな困憊状態で、生徒の皆さんには申し訳ない思いを拭いきれないが、今年はリハーサルの時間を充分に用意してあったので、例年になく音楽を掘下げることが出来たと思う。
教師は相変わらず好い加減なことしか言わないが、その代り演奏者の皆さんは実に的確なアドヴァイスを与えて下さって、生徒さん3人時間を惜しんで互いに口三味線で練習してくれて、本番の演奏は素晴らしかった。浦部君の一見何もないような音符が、指揮者の聴き方一つでただのホワイトノイズ音がまるで変ったり、松宮さんが、作品の霊感を受けた教会の鐘を思い出して振っている時のまるで違う音の輝きとか、山下さんであれば、自分で書いた指示を敢えて忠実に守って演奏することで見えてくる音楽の美しい輪郭など、見学していた他の作曲学生の皆さんの刺激になったに違いない。

8月某日 三軒茶屋自宅
秋吉台を朝5時に出て、始発のフライトで東京に戻り、午後から芥川リハーサル。何とか一日やり過ごし、垣ケ原さんと錦糸町から地下鉄に乗る。
彼は港北区綱島の生まれで、子供の頃は今はすっかり廃れた「浜言葉」がまだ盛んに使われていた話になる。「冷たい」の代りに「ひゃっこい」を使い、語尾に「だんべ」をつけた「だんべ言葉」を話していたという。
母も横浜生まれの横浜育ちなので「だんべ」を知っているかと尋ねたが、覚えているのは「ひゃっこい」だけだった。もしかしたら内陸の言葉だったのかも知れない。
垣ケ原さんがよく覚えているのは、「お前の母さん出臍」と言うのを、「お前の父さんシンダンジン」と囃し立てたことだそうだ。
「シンダンジン」は「死んだ人」の意味で、明治初期、坪内逍遥が沙翁シェークスピア全集を刊行する遥か昔に、初めて日本語でハムレットを上演したのが横浜で、その台詞に「シンダンジン」が登場するので、これも横浜固有の言葉かも知れない。演劇、シェークスピアに精通した垣ケ原さんらしい良い話を伺った。
母に「シンダンジン」の事を尋ねたが、聴いたことはないそうで、何れにせよ当時少女が使うような言葉ではなかったに違いない。

8月某日 三軒茶屋自宅
リハーサルを終え、渋谷で本番前の本條君を訪ねると、思いがけず紀雄さんや大石君に再会して嬉しい。紀雄さんのエレキギターの傍らで一緒に弾いていても、本條君の三味線の音は突き抜けて聴こえる。三味線の発音の鋭さにあらためて愕く。
夜は野平さんの「亡命」観劇。主人公の上に圧し掛かり続ける、精神的負担、政治的圧力の重圧が、いつもどこかに薄く存在していて、 緊張度の高い前半の濃密な時間と、亡命後の開かれた時間を通して、 全体に揺ぎ無い統一感を与えていた気がする。
亡命列車の場面で、安易に拍感を切迫させて緊張を高揚させるのではなく、あくまでも器楽的な構成を通して、極度に張り詰めた緊張を表現していた。こういう部分が「月に憑かれたピエロ」的アプローチなのだろう。予め演奏会形式を意識した内容だとは聞いたけれども、ぜひ演出付きの上演も実現して欲しい。

8月某日 三軒茶屋自宅
芥川作曲賞本番。数日間かけてリハーサルを積む中で、オーケストラとは、今は互いにやらないけれど本番はこういう音を出そう、出したいね、と、言葉には出さないが無意識にヴィジョンを擦り合わせ共有してゆく。今回は不思議なくらい、それらが演奏会で見事に実現されてゆくのを目の当たりにして、愕く。アルペンスキーで旗門を順番に気持ちよく正確に通過するのと、少し感覚が似ているのかしら、と思う。
興味深いのは、互いに何も言語化しなくとも、見えているもの、感じているもの、この先に見えている風景が同じだと感じる瞬間で、演奏の醍醐味は、現代作品であろうと過去のレパートリーであろうと何も変わらない。音楽を共有できる幸せな時間。

審査会も終わったのだから、コメントを書いても許されるだろう。どの作品も本当に素晴らしかったので、甲乙つけることには興味がない。
ヴィデオインタヴューというのを引受けなければならなくて、どうやって譜面を読むのかと尋ねられ、「譜読みが本当に遅く苦手なので、最後まで作品が分かるようになることを祈りながら読んでいます」と答えたけれど、カットされてしまった。

渡辺さんの作品は、楽譜を勉強しながら、絵画を見ているような錯覚に陥った。音で生き生きとした絵を描ける素晴らしさ。風景だったり、通行人の表情であったり、ふと理解の鍵を見つけるたび、何度となく唸る。予定調和的な構造が見えると間違いだと分かっているが、ふと気を抜くとすぐに音楽的な方向性を付けてしまいそうになる。絵画は、絵画そのものが内包している多数の時間軸をそのまま引受けなけば面白さが半減してしまう。

坂田さんの作品は、自分に親しみのある呼吸が息づいていることに最初から気が付いた。先ず彼に確認したのはその部分だったが、それが間違っていなかったことで、以降とても安心して演奏に専心できた。大変個人的に面白かった部分の備忘録。前半最初のtuttiは強音で奏される美しいE音上のハーモニーだが、協和音なので美しく鳴り響く感じかと思っていたが、これを恐ろしさを持って弾いて欲しいと聞いた瞬間、全体の作品の特徴がすっと見えた気がする。

岸野さんの作品を練習してゆくと、色彩の魅力や彩のエネルギー、それらが放たれる空間の広さや空気の密度の微細な変化に、我々演奏者が敏感になれる喜びがある。各フィギュアに対して、とても慈しみが感じられる。オーケストラという媒体は、古今東西基本的に引き算の媒体であって、聴こえないからこの音をもっと大きく、これを聴きたいからより明確にとやってゆくと、野心家だらけのぎすぎすした大会社のようで、響きなど作れなくなってゆく。互いに耳を澄まし、この音を聴こう、あの音を浮き立たせよう、と瞬間的に身を一歩後ろに弾くことで、多層な響きが初めて可能になる。岸野さんの作品を演奏しながら、その面白さを堪能した。

久保さんの作品の魅力は、独特のオーケストレーションのなめらかな手触りが忘れられない。鳥肌が立つような美しい触覚的な音の紡ぎ方。これはゆるぎない彼の個性だと思う。演奏する側からすると、あとは何もいらない。久保くんは、この秋からミラノのガブリエレのところに留学するのだが、イタリアでの生活が彼にどのような影響を与えるのか、個人的にとても楽しみにしている。イタリアの作曲の伝統は、恐らく響きの探求ではない。響きの探求は楽器製作者の領域であって、作曲家は、素材を組み合わせて、何某かそこに意味を見出すことのできる形象、造形を創造しようとする。きっと、久保君によい刺激があると信じている。
演奏会後、各審査員の討論を何となく聴きながら、控室でクロマモルフ譜割り。

8月某日 三軒茶屋自宅
来月のシベリアの演奏会に向けて、隣の部屋で家人がバッハの1052と悠治さんのメタテーシスを代わる代わる練習している。小学校終わりから高校まで、1052は悠治さんのレコードで何度聴いたかわからない。だからなのか、1052とメタテーシスが並んで聴こえてくると、妙に相性が良い。それどころか、共通項も沢山ある気がしてくるから不思議なものだ。
何となしに家人のピアノを耳にしつつ、クロマモルフと、シベリアで演奏するスークの譜読みをしているが、この二つにはあまり共通項は感じられない。
クロマモルフを読んでいて、余りに演奏がむつかしく、笑いが込み上げてくる。演奏不可能だと演奏者に付き返されたことがある、と前に悠治さんが話していらしたが、強ち嘘ではないのだろう。
先ず、書かれている音を何も考えずに読む。何度も読んでいると、音が無意識にフレーズを伴って聴こえて来るので、それを書き留めてゆく。こうした音楽にフレーズ感は必要ないと一蹴されそうだが、それではフレーズが必要な音楽の定義を逆に尋ねれば、恐らく言語化するのは非常に難しいことがわかるだろう。要は自分なりに音楽を咀嚼する上で納得できればそれでよい。
先に書いた日記と矛盾するけれど、各奏者の譜面が極端にむつかしいことを鑑みれば、各々の反応を期待して任せてしまうと、恐らく収拾がつかない。
スークに関しては全くの無知で、読み始めて素晴らしさに舌を巻く。もっとずっとシンプルな音楽家と思っていたが、実に丹念に掘り下げられていて、細部まで凝っている。さて練習までに間に合うか。

8月某日 三軒茶屋自宅
下北沢で本條君と落ち合って、シベリアで演奏する新作打合せ。先ず書かれた音をそのまま弾いて貰っていて、ふと、これを書きながら 瞽女唄を聴いていたと伝えると、その瞬間から音の纏う空気が変わる。
音符の見える音から、彼の身体からふと洩れる声のような音に変化する。「チン」、この音は箏でも尺八でも出せない、身体から染み出るような音だという。
尺八や箏よりずっと身体に密着させて発音するから、身体的そのままの音が空気を震わせるのかもしれない。
家に帰ってくると紀雄さんよりメールが届いていて、一年近く探していた「ニキテ」の所在が分かって、思わず歓声を上げる。
早速悠治さんに報告すると「執念ですね」、喜んだような呆れたようなお返事をいただく。

(8月31日 三軒茶屋にて)