しもた屋之噺(143)

杉山洋一

昨日は、酷いガス漏れで学校前の通りが警察と消防で封鎖されていて、行き付けの食堂も臨時休業させられていました。それから息子を迎えにゆくと、今後は息子が遊びに行った友人宅のアパートで火事があり、消防車と救急車が駆けつけ、住民は全員避難させられて大変だったと言います。そんな話をしながら家に着くと、庭に通じる勝手口が開け放たれたままになっています。どうやら庭に泥棒が入ったようですが、今回は防犯ベルに慌てて逃げたようです。庭に置いてあった芝刈り機など、既に前回全て泥棒にやられておりましたから、今回は特に盗まれるものもなく、有難いやら情けないやら。師走やらクリスマスの声を聞くと、どうも世間が世知辛く物騒に感じられるのは、まあ、考え過ぎということにしておきます。

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 11月某日 自宅にて
息子の日本の国語の教科書に「饅頭こわい」が載っていたので、枝雀の「饅頭こわい」を見せる。早すぎて何を言っているか分からないようなので、小さんを見せると笑った。少しは慣れたかしらと枝雀の「代書屋」を改めて見ると、今度は大いに笑っている。子供のころテレビで落語を見ていて、聴衆がどっと笑う直前に空気がすっと一瞬無音になるのが新鮮だった。

 11月某日 自宅にて
17絃のための新作の素材を探していて、当初「越天楽」と「富貴」から素材を得るつもりだったが、三善先生が亡くなられて、すっかり思いが失せてしまった。色々と音源を聴いて一番心に馴染んだのが「誄歌」だったのは、自分でも意外だった。
粗方を採譜してから、盤渉調を基本にした調絃を考える。17絃を8+1+8と分けて中心に盤渉が来るように並べると、最高音あたりで絃に余りが出て纏まらない。古代中国の雅楽の音律旋法などを参照しながら、最低音と最高音を盤渉とし、盤渉調を基本とする4音ずつで埋めてゆくと、少しバランスが取れたので、沢井さんに見ていただく。当初楽箏の盤渉調に等しい調絃をとも思ったが、倭建命が薨じて八尋の鳥になり、野をゆき海を飛び磯を伝ったように、さまざまな調をわたる曲が書きたい。

 11月某日 市立音楽院にて
マントヴァの音楽祭のため、赤色を絡ませた新作を何かとアルフォンソより頼まれる。黄鐘調は赤の意味だったと思い出し、舞楽のヴィデオを眺める。宮崎駿が好きな息子が盛んに雑面を見せろとせがむので「安摩」を探すと、早速白紙に書き写し頭から被り踊った。
階下では、家人がフィオレンティーノによるピアノ編曲のバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタをさらっていて、子供のころに練習していた記憶が蘇る。グライダーに乗って宙をなめらかに滑ってゆくような奇妙な感覚。

 11月某日 自宅にて
頼まれているフルートとトロンボーン新作の演奏会で、一緒にヴェラチーニも弾きますと村田さんよりご連絡を受ける。ふと、ダヴィンチの文字が頭に浮かぶ。鏡でヴェラチーニを写し、改めて歪んだ鏡でヴェラチーニを写し、斜めに立てた鏡でヴェラチーニを写す。魚眼レンズで映した奇妙なヴェラチーニの譜面が、薄ら見えるような気がした。幾つかのヴェラチーニ曲なら、小学校に上がる頃までに、ヴァイオリンの手ほどきを受けていた篠崎菅子先生から教わった筈だが、レッスンの度にピアノの前のソファーではしゃいで怒られた記憶以外、しっかりした当時の記憶が殆どない。レッスンは余程愉しかったようだ。

 11月某日 自宅にて
10月から指揮を始めたばかりのフランチェスカが「子供の情景」をレッスンに持ってくる。終曲の「詩人は語る」を硬く振るのを不思議に思ったが、最後まで聴いて一理あると膝を打つ。コルトーの神秘的な印象に囚われていたが、考えてみれば子供が語っていて、当の子供も前曲で眠込んでしまっている。だから夢のなかで滔々と語る子供の姿にも見えるし、話し始めて睡魔に襲われ最後には寝てしまうようにも見える。すると俄然途中のフェルマータが説得力を帯びて見える不思議。「雄弁に」という言葉が頭に浮かび、フランチェスカのカルロ・ゼッキ校訂版の譜面を覗き込むと、そっくりそのまま「雄弁に」と書いてある。

 11月某日 ローマからミラノにもどる車中にて
ローマで平山美智子さんと高橋アキさんによる湯浅先生の「おやすみなさい」を聴く。平山さんは湯浅先生が長田弘さんの詩につけたこの曲について「生きる希望を与えるため」と説明した。マウリツィオのコンフェレンスでは、ユージさんの「ニキテ」がローマで演奏されていたことを知る。時にアキさんの話す語尾が美恵さんを思い出させるのは、髪型のせいか、それともどことなく顔の輪郭が似ているからか、強かにローマの道を打つ雨を眺めながら思う。「あなたのことは、ずっと昔に功子さんから聞いていたわ」と言われて、悪いことは出来ないと反省。雨のローマは思いの外冷え込む。

 11月某日 市立音楽院にて
ゴルリのアンサンブルで、来年一年かけてドナトーニの独奏作品を全曲演奏するそうだ。会場の壁に弟子たちが手書きの思い出を書いた紙きれを貼るというので、キリスト教大でレッスンした後に清書し、サンタンブロージョ駅前のポストに投函する。ロンドンから録音する新作の演奏内容の確認が届き、アンドレアからはオルガン新作の仮録音が送られてきて、レジスターを何箇所か変更しなければと思いつつ、ずっとどこかでニューヨークで初演する作品に使うための歌詞を探している。アイメルトの「久保山愛吉のための墓碑銘」を聴く。

 11月某日 自宅にて
日本の食品誤表記のニュースを読む。有名オペラ劇場来日と銘打ちながら、劇場オーケストラの実際は、正団員より寧ろ大方エキストラだったと聞いたことがある。評論家が有名な録音の演奏解釈や音色について書いていても、本人からすれば出来の良い演奏を繋いだだけかもしれないし、録音監督の意向で演奏解釈すら変更しているかも知れない。それらは、人を陥れるための行為ではないし、寧ろ良心の賜物にちがいない。自分が好きならそれでよい。尤も、友人の写真家は毎日モデルの顔をフォトショップで直すのが嫌で、植物の写真ばかり撮るようになったが。

(ミラノにて 11月29日)