しもた屋之噺(148)

杉山洋一

現在夜中の3時をまわったところで、暗闇に吹き付ける強い風の音だけが響いています。こうして夜空を見上げると、深く沈んだ橙色に染まってみえるときと、今日のように漆黒の空が広がるときとあるのは何故でしょう。深い闇夜が静寂を際立たせる気がするのは、夜の帳が音を吸込む錯覚を覚えるからかもしれません。いまは遠く、サンクリストーフォロ駅構内の信号機だけが、てらてらと濃厚な赤光を放っています。

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 4月某日
夕食後、国立音楽院に自転車を走らせる。ピエールルイージが作曲のセミナーをしているからとメールをくれなければ、きっと知らなかった。国立音楽院の作曲科の学生たちがお金を出し合って、彼をウィーンから招いたという。ホールは若い学生たちの熱気で噎せ返るほど。

彼の30分かかるヴィオラ独奏曲を、みな爛々と目を輝かせながら聞いている。誰一人として眠りそうな顔はなく、演奏が終わると割れんばかりの拍手。学校の招聘ではないので、教師は皆無。唯一、ピエールルイージの友人、作曲科主任のマリオだけがいて、久しぶりに3人ではなす。この状況は、学校の作曲科が機能していないことを、如実に顕しているのさ、と強い調子でまくしたてる。

 4月某日
息子のデアゴスティーニの子供用イタリア語辞書で宿題をみていると、すでに足りない語彙が多いのにおどろき、ザニケルリの伊伊辞書を買ってくる。暗記させられる文章から、わからない単語を辞書で引かせ、書かれている内容をすべて自分の言葉で言い替えさせる。わからない単語は、その場で教えてやりたい気もするが、わざわざ自分で辞書を引かせるのは、もうすぐこちらのイタリア語の語彙では、ついてゆけなくなるのが分かるから。今日の宿題は、「クロマニヨン人の生活形態」について。

 4月某日
悪徳経営、ゴーストライターや虚偽論文の問題などで、我が国の報道姿勢が問われる、と意気揚々と書かれたすぐ傍らに、有名プロデューサーを招いた国営放送の番組宣伝。「商品にもストーリーを」。

 4月某日
袴田さん再審決定を機に、死刑廃止が話題にのぼる。日本は死刑容認で、言論の自由も保障されない、とんでもない先進国よ。アムネスティ・インターナショナルの幹部に、出会いがしら吐き出すように言われた。彼女はパキスタンにでかける直前だった。日本とヨーロッパではあまりに土壌が違い、思考がかけ離れているとおもう。ずっと、日本はヨーロッパに近づかなければいけないと思っていたのは、音楽をやっているからだろう。でも最近、違うのは仕方がない気もしている。

個人的に死刑には反対だ。それは単に、人を裁けるだけの人格のない自分は、罪人であろうと人を殺める資格はないに過ぎない。それ以上でもそれ以下でもない。尤も、これだけ国民が強く死刑を求めるのだから、国として死刑を廃せないのも無理からぬ現実がある。

奴隷を買入れ、猛獣狩りに親しみ、ギロチンや絞首刑を続けてきたヨーロッパ人は、それらを過去の負の遺産として葬り去ってきたので、同じようにできない国を理解できない。捕鯨問題にも近い手触りを感じる。マンボウの刺身が旨い、と言ったときに、トンデモナイという眼差しを向けられて、少しこの距離感がわかったので、鯨肉の刺身もトロッとして旨い、などとは口が裂けても言えぬ。ハテ1千年後人類は何を食べているのかと、下世話な興味。

 4月某日
世界中の誰にでも、どんな職業にも意味がある。転じて、その人が生きる意味はどんな人であっても存在するとか書いてある。短絡的過ぎる気もするが、言われればそんな気もしてくるのは、自分が単に意志薄弱なせいだろうか。

さまざまな意見を言う人がいて、世界として初めて成立するのは確かだろう。自分にとって理不尽であったり、不合理に見えても、他人にとってはそれは至極真っ当であるかもしれない。誰もが口ぐちにそれぞれの意見を言うとき、おそらくそのどれもが少しずつ意味を持っている。どんな馬鹿げた言い種にも、盗人にも三分の理ではないが、おそらく何らかの意味があって、たとえそれを自分が理解できなくとも、だれか他の人にとっては理解できるものかもしれない。

こんなことを思うのは、自分がイタリアの判然としない暮らしに慣れすぎているからであって、案外オランダや北方で暮らしていたら、もう少し理知的な思考が国を治めるようになるだろうか。
「最高だから、どうしても見て頂戴」と、いつもクラスで伴奏してくれるマリア・シルヴァーナからラース・トリアーの Direktøren for detheleのヴィデオを渡されて、心底驚嘆しつつ腹を抱えて大いに笑った。笑いころげつつ、北方の理知的思考が、どこまでも灰色の厚い雲に覆われていることに、悄然とする。

 4月某日
ショパンの楽譜。10年以上前に勉強した楽譜をひらくと、そのとき何を考えていたのか、何を読んでいたのかが見える。やれやれという思いで読み始め、気が付けば、すっかり引き込まれていた。

当時、自分が指揮をしている映像を見る機会があり、それは嫌なものだったが、尤もこれだけ時間が経てば、まるで生徒を眺めるように客観的にみることはできる。一番苛立ちをおぼえたのは、演奏者とのコミュニケーションの形だろう。一方的にアウトプットし続けていて見ていて息苦しく、当然音は空間にひろがらない。

 4月某日
ピッコロ劇場のなかの静かな喫茶店で、Aさんと初めてゆっくり話す。90年からミラノにいらして、いつも誰かとの板ばさみの仕事なのでもう厭だ厭だとおもいながら、まだやっているんです、と笑う。イタリアに住んでよく分かったのは、左寄りとか右寄りとかというのは、実はほとんど意味をなさないということ。左でも右でも、お金を持っている人は、自分のお金は一切使わない。だから、お金持ちなんでしょうね。石造りの回廊に誂えられた天井のたかい喫茶店に、夕日がまぶしく差し込む。

 4月某日
癌で入院していたフランコから電話をもらう。贈ったプレゼントのお礼だったのだが、はじめ電話をとったとき、誰の声だかわからなかった。
朝早く起きて、息子のバスケットの練習につきあう。30回シュートをしたので、彼は少し顔を紅潮させ満足げに家路につく。

曲の演奏にあたり、大切なことをお伝えします、と手紙がとどく。
ア)強弱。強弱はとても大事です。コントラストが大切です。
イ)リズム。リズムは曲の要です。
・・・以下省略。

 4月某日
家人から、これをどう思うか、とヴィデオメッセージのリンクが送られてきた。日本から原発を買おうとしているトルコの人たちに、トルコ語でメッセージを送る、というもの。将来の廃炉作業の厄介と危険を鑑みれば、世界中にある原発は一基でも少ない方がよいとは思うが、日本から原発を買わなくとも、トルコは別の国から購入するのだろうか。感想をもとめられて、言葉に窮す。イタリアは原発こそ廃止したが、この原稿も、フランスから買った電力で書いているのかもしれないし、それは原発で作られた電力かもしれない。自分には何もいう資格はないが、ともかく原発事故処理に力を入れてほしい。

「日本人の一致団結した集団行動のすばらしさ(同時にそれは個の弱さでもあるが)を持ってすれば、たとえ限られた条件下であれども、よい結果を残せると確信している」とパリから激励とも皮肉ともいえないメールがとどく。

 4月某日
早朝パンを買いに外にでると、服の直しをやっているアフリカ人が、店先に静かに立っている。近づいてみると音を立てないようにして、シャッターを上げているのだった。人気のない祭日の朝、辺りにそっと優しさをふりまいていた。

(4月27日ミラノにて)