しもた屋之噺 (115)

杉山洋一

6歳の息子が担任のエステル先生に、国歌を歌うときなぜ手を胸にあてるのと尋ねると、「それは心の歌だから」と教えてくれました。
「未だあなたには早いけれど、小学校に行ったらむつかしい歌詞の意味をじっくり勉強するはず。イタリアが生まれるいきさつは大変なものだったのよ。沢山の人たちが命がけで力を併せてくれたおかげで、今のわたしたちがいるの。そんな皆に思いを馳せて、手を胸にあてるのよ」。
息子が3年間通った市立幼稚園の卒園式に顔を出すと、イタリア建国150周年の今年に因んで、最後にさまざまな人種の園児たちが、右手を胸にあて、元気よくイタリア国歌を歌っていたのです。

担任のテレーザ先生とエステル先生は、最後の面談で小学校への引継ぎの話が一通り済むと、「あとは涙がこみ上げてくるだけだから、すぐに連れて帰って」と少し照れながら話していたし、息子が日本に発つ前日、最後の登校のつもりで挨拶にゆくと、明日の便はお昼過ぎ?それなら朝はここで少し過ごしてから行けばいいわ、お別れは明日までお預け、と土俵際で寄り切られました。

あれから一週間経って、一足先に戻った家人と息子を追って今朝ほど東京に戻ったところですが、空港に向かう道すがら、幼稚園に一年の勉強の成果をまとめたアルバムを受取りに立寄ると、アルバムが税関で取上げられないかをとても心配していて、恐らく大丈夫と答えると、「そんな曖昧なことでは困るので、私が秋まで預かっておきます」と言われ、慌てて、必ず息子に渡しますと約束して、何とかお許しを貰いました。二ヶ月ほど家を空けることになり、息子が室内で育てていたトマトの苗のうち、二株は庭の菜園に植替えましたが、留守中按配よく雨が降るとも思えず、残った一株は息子と仲良しのニコライにプレゼントしたところ、日本に戻る日の朝、「トマトがぐんぐん育っていて、一つ新しい小さな新葉も吹いたと忘れずに伝えて頂戴」と、わざわざ彼のお祖母さんが電話をかけてきてくれました。

そうして、一週間ぶりに東京で会う息子は、二ヶ月ぶりの日本の小学校がすっかり楽しい様子で、彼なりに溶け込もうと頑張っているのでしょう。数日で「わかんねえ」「すげえ」「きたねえ」などと覚えたての男言葉を、家でも嬉しそうに連発していました。家では日本語は母親としか話さないので、そろそろ彼の日本語の女性化が気にかかり始めたところで、ほんの一週間で、日本語の割舌も見違えるように良くなり、早口になっているのを見るにつけ、子供の吸収力にあらためて驚いています。

さて3年前、ちょうど息子が幼稚園に通い出して暫くしたとき、ボローニャのアラッラとラ・リカータから、才能のある若者がいるので面倒をみて欲しいと頼まれ、ミーノがおずおずとレッスンにやってきたのを思い出します。彼は音楽を始めたのも遅く、高校までは父親を継いで数学者になるか、音楽を続けるか迷っていたそうですが、当時からとても身体が大きく、ムーミンのように太っていて、文字通り繊細な巨漢でした。

飛び抜けてピアノと作曲の才があり、ずば抜けて耳は良かったのですが、両親が離婚していて手元にお金はなく、いつも鈍行でボローニャから通ってきていましたが、その分熱心に勉強して、めきめき力をつけました。自分に教えられることも、そろそろ言い尽くしたかと思っていると、ちょうど息子の卒園式のころ、マインツの劇場のアシスタント指揮・ピアニストに決まったとおずおずと連絡をくれ、一同飛び上がって喜んだことは言うまでもありません。

彼は元来チューリッヒ音大の指揮の博士課程を目指していて、1年目の受験は全く箸にも棒にもかからず、2年目はすんでのところで合格点に届かず、3年目は合格には充分な点数だったけれども、クラスの席が空かずに落ちてしまい、将来を悲観していました。だから、受かるつもりも全くなく、見ず知らずのドイツの劇場で、馴れないドイツ語のサロメのコレペティでオーディションを受けて、初めて、まわりの受験者が各地の劇場のオーディションを渡り歩くコレペティ志望者だと知ったそうです。

最近ふとした偶然から、3年前のボローニャの劇場でのライヒのEightLinesの演奏がインターネットで見られるのを知りましたが、本番でピアノの譜めくりをしていたのも彼でした。あの演奏会の頃、レッスンに来だしたばかりのミーノと、リハーサルの合間に時間を見つけては、舞台裏などでチューリッヒの課題曲だったブラームスのハイドン変奏曲を一緒に勉強していたのが懐かしく、奇しくも、ハイドンの聖アントニの主題は、息子が特に大好きで、拙いながら自分でピアノで弾ける数少ないレパートリーの一つなのを思い出しました。3年という時間が長いのか短いのか、分らない気もするし、少し実感できるようになった気もします。

さて、外は夕立が酷く雷も鳴りはじめました。
蛇の目ではありませんが傘を携え、息子を迎えに行ってくることにいたします。

(6月30日 三軒茶屋にて)