オトメンと指を差されて(32)

大久保ゆう

前回もふれましたが、私はすやすやと心地よく眠れれば満足なのです。月並みですが、そのためには低反発枕とボディピローは欠かせません。

それにしても、ものすごく浸透しましたね、どちらも。だいたいのところがここ一〇年のことだと思いますが、もう違う枕ではなかなか寝付けなくなってしまって、枕が変わると云々という状況です。しかし今では、エコノミーなホテルでも低反発枕のところがあったり、しかも様々な固さから選べたりもするので、ありがたいばかりです。

それでも出先で居眠りするときなんかには、当たり前のことですが低反発枕などあるわけもなく、自宅外で勉学に励むことが多かった時期などは、居眠りにも快眠をということで、小型の低反発枕を持ち運ぶという奇行(?)に及びさえしました。

大学内のあちこちにある図書館・図書室に出没しては、二時間集中+一〇分仮眠、という組み合わせを一日何セットも繰り返すわけなのですが、低反発枕を持ち運ばないあいだは手枕で、肩が凝ったり腕が痛くなったりしたものです。そこで解決するべく導入されたのがミニサイズの低反発枕、ラグビーボールほどの俵型なのでスポーツ用品向けのバッグにうまく入って、何気なく持ち運ぶことができます。

「それ何?」「枕」「は?」というやりとりは友人間で幾度となくなされましたが、集中しすぎると頭が痛くなったり吐き気がしたりするので(あと息をするのを忘れたりもするので)、短時間の仮眠がなくてはならないのです。集中力を上げすぎて消尽してしまったことによる身体的自爆は、学徒においては気をつけるべき第一のことであります。中学以降、放課まで集中が持続せず午後遅くになると廃人のようにふらふらしていたことはもはや懐かしい思い出ですが、大学生になって自ら時間割をコントロールできるようになってからは、効果的に仮眠を挟めるようになりました。

高校のときも覚醒を偽装しながら仮眠を巧みに織り込んではいて、数学の時間は模範解答のときのみ意識的に起きてあとはスイッチオフ、というわけのわからない技を編み出しましたが、その甲斐あって仮眠による集中のオンオフの切り替えができるようになり、常にフル回転で活動できるようになりました。その結果、大学のあちこちで勉強しては眠る、ということになったわけですが、今にして思うとよく誰にも怒られなかったな、と思います。最終的には普段の活動も含めて明らかな過労になってしまい、反省した現在、持ち運び用の低反発枕は大学のデスクの上に活用されず置かれたままになっています。仕事場でいつでも仮眠できるようになったという変化もありまして。

個人的には、仕事場の折りたたみベッドに低反発マットがほしいな、とTVショッピングを見たりして考えたりするわけですが、快適すぎる仮眠はただの本格的就寝になってしまい眠りすぎてしまうので困りものです。ここにボディピローを加えると、もうどうしようもないですね。眠りすぎて仕事になりません。

抱き枕、などと言ってしまうとサブカルチャーの文脈では、アニメやマンガのキャラを大きくプリントした抱き枕カバーのことになってしまうわけですが、快眠派の私にはなかなか理解しがたいものでもあります。あれは描かれている絵を楽しむのでしょうか。しかし就寝時には電灯を消して目をつむっているわけなので、眠るときに見るというのはなさそうで、じゃあ目をつむったまま妄想するのかと考えてみるものの、だったらカバーなしで想像すればいいじゃないか、と思ってしまうわけで。飾っておくのをよしとするならば、そもそもボディピローである必要がなく、覚醒した状態で抱きしめたり会話したりするとなれば、それは枕じゃなくてぬいぐるみ然としたものなのだな、と推察してみるのですが、いかんせん別の文化であることを感じずにはいられません。近頃では人型の抱きぬいぐるみのようなものがあると聞きます。おそらく就寝時と覚醒時の両用になるのだと思われますが、そこまで行ってしまうとある種の彼岸のようなものなのでしょう。

昔からよく布団を丸めて抱きしめたり、うつ伏せになって枕そのものを抱えたりしていた私にとっては、ボディピローは手と足をどこかに落ち着けるためのものです。寝るための覚悟の現れ、でしょうか。私はもうこれを動かさない、というような。生活しているときは、ペンやキーボードなどを使っていますから、止めるというのは活動をお休みするということなのです。放っておくと、あれこれ考え始めて、何かメモしたくなってしまうので、押さえつけるってことなのですね。

中学〜大学のあいだは睡眠時間が少なかったのですが、今はついつい八時間睡眠をしてしまいます。健康のためでもあるのですが、ちょっともったいない気もしています。