ファッションデザイナーの皆川明さんが、綿やカシミア、ウールなどの天然素材の糸の値段が上がっていることを、〈ファッション商品のデフレ傾向の中においては違和感を覚えるほどだ〉と朝日新聞(2011.1.27夕刊)に書いている。カシミアなどは昨夏の猛暑でカシミヤヤギがずいぶん死んでしまったそうで、加えてヤギの飼育者が減ったこと、また経済の隅々にわたる中国の台頭で日本のファッション業界がよい材料を確保しにくくなっており、〈ものをつくる上で、材料がなくては、ことは始まらない〉というのだ。確かに巷では年々季節を先取りして洋服のセールが行われるようになっているし、あるいは会員限定とか顧客限定とか曖昧なくくりで集められた大勢で特別目当ての服もなくとにかく値引きされたものを物色することが増え、少しでも安く買って当たり前の気分でいる。安いにこしたことはないし服に贅沢の趣味もないけれど、体になじんだ質のいい服をまとうひととすれ違えば、どこかの街角の小さな洋服屋のウィンドウでそんな服に出会って衝動買いしてみたいと思うのだ。
鬼海弘雄さんの新刊写真集『アナトリア』(クレヴィス)は、1994年から15年の間に6度、秋から冬にかけて訪れたアナトリア大地(トルコ)で撮影した140点がおさめられている。「貰った背広を着る少年」と題された写真には、2人のおそらく兄弟が煙草をくわえて誇らし気に背広姿をみせているが、何度も見るうちに彼らの後ろにたたずむ馬がほどよく草を食む姿が気になってきて、誇らし気に見えていた彼らの表情が実はいつまでたってもシャッターをきらない外国人の写真家に「まだ?」という倦んだ気持ちを身体いっぱいに表現しているのではないかと見えてくるからおもしろい。ともかくも鬼海さんがおっしゃる〈美しい顔〉をした人々はみな体になじんだ服を着ていて、おそらくそれは大切に着ているということなのだろう。
『アナトリア』は大きい。縦295×横302ミリ、156ページの函入り上製本で、装丁は間村俊一さん。刊行にあたってスライドを見せながらのトークショーが何度かあった。1994年から続けてきた撮影にくぎりをつけたきっかけのひとつとして、訪ね歩いてきた地域がここ5年くらいで物価が高騰し、〈幸せのかたちが金によって明示され〉、町も人々も変わってきたことをあげていた。パンでもなんでも、日常的に物を作る人がたくさんいる土地は個性があっていい、雑木林のようにそれぞれあればいいのであって、〈いつもなにかと比べていなければならないのはあやうい世界だ〉とも言った。この写真集は9,450円。本の値段としては「高い」と言っていいだろう。だがそもそも、割にあった値段などつけられるはずがない。鬼海さんはこんなようなことを言った、とにかく何度も見て欲しい、引越のときもあぁこれは奮発して買ったから捨てずに置こうと思って欲しい、と。
はじめにひいた皆川さんのエッセイはこんなふうに終わる。〈つくられた背景に人の思いが及ばなくなると、使う人は物を尊ばなくなる。…(略)…もう一度、人の手と気持ちを込めて物をつくる場と、物を大切にする生活のサイクルを取り戻したい。間に合わないかもしれないが、あきらめたくない。〉皆川さんのブランド「ミナ・ペルホネン」のシーズンごとのカタログ「紋黄蝶」も毎回つくりが丁寧で美しく楽しい。2011春夏はデザインに須山悠里さんを迎え、右へ左へとページを交互に開いていく造本だった。開ききったらまた逆に、左、右、左、右と閉じねばならない。ちょっとメンドウ……と思いつつ、〈あきらめたくない〉思いを受けとる。