ピアノを弾く

高橋悠治

ピアノを弾く サティの曲のように短く 音の数がすくなく 同じように見えるフレーズが くりかえされるようで どこかがすこしちがう それを何回も別な機会に弾く 自然に指がうごいて できた道に沿って行けば すぐ終わる それでは早く飽きるだろう かんたんで素朴に見える音楽を 毎回ちがう曲のように弾けるだろうか

ひとつのフレーズでもちがう表現はできる でも表現はいらない 鍵盤をさわった時の指の感じ 同じ音でも毎回ちがう 返ってくる響き 皮膚のツボに触れると離れた経絡の端にヒビキを感じるように 慣れた道すじを思い出すのではなく 一歩ごとに 知っていた道を忘れていく 背を押されて そっとさぐりあてる次の一歩 意図も意志もない 方向も展望もない ためらう辿りのたのしみ

1950年代の終りから たくさんの音を操り 前もって計画した全体構図を実現する技術 複雑なリズムや跳躍する音を正確に配置する技術からはじめた 最小限の時間で 細分化した断片をつなぎあわせる練習をかさねて 確実なものにしあげる技術 その頃でも 名人芸や超絶技巧ともてはやされる技術の誘惑は避けたいと思っていた 確率空間に点滅するクセナキスの音の霧と そのなかに不規則に打ち込まれる輝く点のイメージは 5分割と6分割を重ねた時間の二重の網で掬い取られ 楽譜に書かれる 音符やリズムの正確さは すでに歪んだ静止画像にすぎない 分析的な技術ではない 別な技術はどこにあるのだろう 漂い移りゆく響きの雲は 軽くほとんど重みのない指先と 響きの余韻が消えた後の 何もない空間の奥行きがなければ 表面的で暴力的なノイズになってしまう 制御できないほどの複雑さと疲れ切ってからだがうごかなくなった時の力がぬけていく感じ その時やっと重力から解放されて 静けさでもうごきでもない何かが現れる そんな瞬間があった

その後の演奏技術は スポーツのように進化してきた 当時できなかったことも いまやたやすくできる人たちが何人もいる そこでかえって失われたこともあるだろう スポーツとなった技術は長続きしない 若い時は力でぶつかってできることは衰えは早く 鍛えたからだはある日突然こわれる そんな例を時々見かける

クセナキスと最後に会ったのは1997年だった その後のTV番組のために『ヘルマ」を弾いた それからまた年月が経って いままだ弾けるだろうか クセナキスのその後のピアノを使った曲にはない「初心」がある その時の演奏もそうだった 分析的でなく 名人芸でもなく 音に別な音が続くだけの「白い音楽」漂う音の雲の無重力を 毎日1ページずつ習うだけの練習だった というのも後付の思い込みかもしれない