9月は追悼月

高橋悠治

9月11日マリアのための追悼コンサートで『なびかひ』を弾く
691年に人麻呂が書いた詩によるピアノ曲
中嶋香の委嘱で書いたが 自分で弾くのは初めて
1972年にもおなじ詩でチェロと男声合唱のための『玉藻』を書いた
その時は青木昌彦の妻・石田早苗を悼むために
夫を喪った妻のうたを妻を喪った夫のために引用するのは
男は女でもあり 女も男でもありうるからだろうか

最近は休止符を書かない楽譜をためしている
音と音の間が 不連続でもあり連続でもあるように

9月19日から21日までシアターイワトで『トロイメライ』の初演
シューマンのピアノ曲でもあり如月小春の戯曲でもあった
少年と少女 それに地球をかかえた『人類』という設定は如月小春のもの
物語はアンデルセンが初めて書いた童話『雪の女王』から
いくつかの詩は如月小春の別な戯曲から
詩の引用を含むテクストは彼女の戯曲にもとづくが
如月小春のためによんだ弔辞の引用でもある
音楽はシューマンからはじまり それが即興のなかに崩壊し
最後に原曲が再生する
飛び降りて死んだ少年を死の国から日常によびもどす少女のように

即興ははじまりと終わりのフレーズの間にあり
ちがいがきわだつように 無自覚な連続や反復を抑制する以外の
規則も共通のスタイルもなく

26日と28日は東京と大阪で柴田南雄の十三回忌コンサートがあり
そこで山田百子と『歌仙一巻 狂句こがらしの』を演奏する
ヴァイオリンとピアノは前半と後半の終止以外には同時に演奏しない
引用を交えたソロが交替する連句構成

連句形式の厳格な規則はともかく
付けと転じによる予定調和のないプロセスは
ちがうものがちがいをのこして協力する関係をつくりだす
芭蝉の作法は 最少限の音の配置から遠い空間を想像させる
極小の政治学