製本かい摘みましては(98)

四釜裕子

馬好きが高じて競馬場近くに土地を求めたひとの家は山小屋のようだった。藤棚をしたてた門をくぐると牡丹の蕾ら、その背後に二階から急勾配で足下まで続く群青色の瓦の異様、玄関の大きな木製の扉は80度も開くとガガガと下をこする。屋内の扉や窓はどれも規格外の大きさで、木と鉄と石と漆喰とガラスと障子で平らに埋め尽くされていた。吹き抜けの天井近くまで作り付けられた巨大な本棚とピアノ以外は、机、椅子、暖炉、太鼓、こまごまとしたオブジェのひとつひとつにいたるまで適当に置かれた風。手が届かないから交換できないという一球消えたシャンデリアや、友人から頼まれてあずかりっぱなしという巨大な油絵も気軽である。

スピーカーに並んだ棚の籠にも奇妙なオブジェ。裏返すとしゃもじがはりつけられていて、同じものが2つ。楽器か。叩くとペシペシにぶい音。
 「この、卓球のへらのちっちゃいみたいなの、何ですか?」
 「あら、やってみる?」
 「何を?」
 「やりましょう」
何をやるのか。住人はコーヒーを下げてテーブルを分解する。長い一枚板を二枚並べてあったのだった。洗い張り用の板だと言う。わずかな湾曲がいいとも言う。二段に重ねて腰くらいの高さになった。
 「そしてこれをね」
ネット。ぐるぐる巻きされたそれをほどくと両端に一つずつピアノのハンマーがついている。園芸用の白い網を細長く切り、縁に製本用の白いテープを貼ったそうである。ハンマーのエル字部分を台にひっかけて万力で固定するが、台の真ん中あたりに跡が残っているからそこに当ててと言う。どう、わかる? わかるわかる。くぼんでいる。

しゃもじ卓球だ。へらの大きさがつかめなくて空振りが続く。それなりにラリーが続くまでやめられない。球はそこいら中に飛んだ。ソファーの下、掃き出し窓、階段梯子の裏。探しながらこの部屋の隅々に行き当たる。30歳のときに自らの設計で建てたそうである。そこに在るなにもかもがそのときからのものかと尋ねると、新しいものもあるのよとライティング・ビューローを指差した。開けると、住人が作る小さな同人誌の最新号が積み重ねられている。A6判、本文12ページ前後、どんぐり色の表紙には毎回異なるコラージュやスタンプが付され、ホッチキス2カ所で中綴じされている。毎号30部、当号で44号。見開きにおさまる小さな作品を、小さな集まりで小さな冊子に小さく複写して、握った掌から泡を沸き立たすように送り続ける。

最新号の表紙は馬だった。今号は手渡しね。近くにあった競馬場は10年前に閉鎖されたそうである。ライティング・ビューローの中には小さな独楽もたくさんあった。くるくるくるくる。白木に黄色の独楽は回ると光って浮き上がってみえる。勢いあまって何度も落ちた。住人がまわすと独楽は落ちない。きれいでしょう。こうやって遊んでるの。住人は小さな場所をいくつも区切って、その体積を超えることなく足らぬことなく満たしきっているようにみえたが、超えることなく足らぬことなく満たしたところに場所はでき、その人はそれをたくさん持っているのだと思った。帰る時に牡丹はすっかり咲いていた。