うるわしき皐月。という待ち望んでいたのとはほど遠い曇って薄ら寒いきょうという日。今夜の月はほぼ半分のようです。
「水牛のように」を2013年5月号に更新しました。
スラチャイの「もの書き」が完結です。スラチャイによるグレードの高いエロスに満ちた小説(?)が成功しなかったのは少し残念な気もしますが、本人も書いているように、それでよかったのでしょう。これまで水牛に載せてきたスラチャイのどの詩も短編小説も類のないものです。どうということもないのに彼の思想とでもいうべき不思議なトーンが満ちていて飽きません。カッチリとした構成がないのもいい。訳者の荘司和子さんとはそのたびに「いいねえ」と言い合うのですが、そんなことを言っているのはわたしたち二人だけではないのかとふと思うこともあります。
璃葉さんの新しいサイトは http://riha.in/cms/ 。5月の秩父での展示会のお知らせや絵なども掲載されています。
オトメンの幼児のころの記憶を読んで、わたしの記憶もよみがえってきました。幼かったころはいつもラジオがかかっていて、それは遊んでいる庭にさえ聞こえてくるのでした。いつの間にか覚えてしまった藤山一郎の歌う「長崎の鐘」。しかし出だしの歌詞「こよなくはれた青空を」が「こよな くはれた 青空を」としか聞こえず、「こよな」も「くはれた」も意味がわからず、幼心に苦悩したのでした。
ニッカのシングルモルトウイスキー「余市」は好きでときどき呑みますから、大野さんの余市訪問記を興味深く読みました。よいちという地名の響き(そういえば響というウイスキーもありますね)も美しく、一度は訪ねてみたいものだと思います。そういえば先日、片岡義男さんがプッチンプリンというものを知らないというので、コンビニに連れていって「これです」と実物を手に取って教えました。ひとつだけあったそれと、余市の小ビンを片岡さんは買いました。コンビニで荷物を出したりはするけれど、買い物をしたのは始めて、とのことでした。はじめての買い物としてはよい組み合わせだと思います。
「北朝鮮が60年間、戦争もせず、内戦も知らない国になってしまったということは、案外、気づかれません。」という藤井さんの指摘にしびれます。。。
さて、「水牛のように」のバックナンバーを、いまの一冊ごとのものから、著者別に組み替えようと考えています。誰かの書いたものを読んで、その人の前のものを読みたいと思うことのほうが多いと思うからです。いつのまにか10年分以上の蓄積ができてしまったので、作業にどのくらい手間がかかるのかわかりませんが、来月には出来たところまでアップし始めます。と、一応決意を述べておきます。
それでは、また!(八巻美恵)