風もおさまって、おだやかに晴れた春らしい日。これぞエイプリル・フールか、などと思ってしまうほどに最近はきょうのようにおだやかで春らしい日は少なくなりました。
「水牛のように」を2014年4月号に更新しました。
いろんな人や出来事と出合って、自分というものがつくられていきます。こう書いてしまうと、当たり前すぎるほど当たり前なことですが、しかし自分の人生や、内面と呼んでいるようなものは実は自分の内側ではなく外側にあるという言いかたも出来ると思います。自分を自分として認識できるもっともてっとりばやいものは自分の身体ですが、体というものもどこからが自分の体でどこからがそうでないのか、その境目は意外にはっきりとしません。
ルーマニアで生まれて、いまは東京の大学で学んでいるイリナ・グリゴレさんと会ったのは今年のはじめ、プランBでの田中泯+高橋悠治のときでした。ふたりの公演が終わったあとのラフな打ち上げの席で、譜めくりをしていた私に「忙しそうでしたね」と声をかけてくれたのが彼女だったのです。高校生のころにルーマニア語に訳された日本文学を読んで、日本こそ自分の行くべきところだと確信したという話を聞いて、そんなことを水牛に書いてもらいたいと思いました。偶然その場には知り合いの編集者がいました。おなじ編集者とはいっても私とは違って、彼は老舗の出版社に勤務しています。その後の話で彼もイリナさんに興味を持ったというので、まずはエッセイを書いてもらおうかと相談しています。
外国の小説の翻訳を読んで、こうした行動をおこす人が少数とはいえ必ずいるのですから、コトバについてもっともっと考えたくなってきます。自分が感じたり考えた結果としていま東京にいることは自分にとっては当然のことだったので、これまで特別だとか他人とは違うと思うことはなかったとイリナさんは言います。でも最近は相対化することが出来るようになり、エッセイとして書いてみるのは自分にとってもいい経験になると思います、とも。うまくいきますように。
さて、ツイッターで流れてきた情報によると、昨年おこなわれたコンサート「東京現音計画♯01〜イタリア特集I:コンポーザーズセレクション1・杉山洋一」が第13回(2013年度)佐治敬三賞を受賞したとのことです。詳細はこちらで。杉山さん、おめでとう! 次に東京に来るときには味とめで祝杯ですね。
それではまた!(八巻美恵)