花ざかりの東京。五月の最初の朝は美しい。昨夜の雨に洗われた大気がいつものシジュウカラらしき鳥の声を伝えてくれます。なんとおおきなよく伝わる声なのでしょう。
気持ちのいい日なのに、私のPCはなんだか不安定です。作業をはじめてすぐにファインダーがおかしくなってあたふたしました。そうなっては困るときにこそそうなるのがコンピュータの宿命であることは、いろんな人から聞くことです。回復したあとはすぐにデータをバックアップし、そんなふうにきちんと気にかけてていると順調に動くのもいつものことです。
「水牛のように」を2014年5月号に更新しました。
はじめて原稿を寄せてくださった平野公子さんと長谷部千彩さん、ありがとうございます。
平野さんとはついこの間まで西神田にあったスペースイワト界隈でいっしょにあれこれやっていたのですが、ほんとうに小豆島に移住してしまったのでした。島からの便りを読めるのはうれしいです。中秋の満月バーは島で開店しますよ。
長谷部さんを紹介してくれたのは片岡義男さんです。はじめて会った数年前のそのときには他にも何人か同席していたので、特に個人的な話をすることなく別れました。それからたびたびイベント会場などで会って立ち話をするようになり、彼女がネットで書いているものを読み続け、最近はじめて二人で会ったのです。そのための時が満ちたと感じられて、原稿のこともすんなりと進行しました。
昨年の秋も深まったころ、山形国際ドキュメンタリー映画祭に一泊二日で出かけました。富岡三智さんが書いている「アクト・オブ・キリング」はそこで上映されたのですが、内容には興味をひかれたものの160分という長さにめげて、隣の会場で上映される映画の会場を暗くなりかけた外で待っていました。向こうからひとりで歩いてくる男性のシルエットを見て、考える前に「管さ〜ん」と呼んでしまった私です。間違いなくそれは管啓次郎さんだったのです。いつもいる東京のどこかよりも山形は偶然会うのに最適なところでした。水牛の世界です。学生を連れて来ているのだと管さんは言いました。すばらしい授業!
「アクト・オブ・キリング」の160分は実験としての長さなのかもしれませんが、デジタルになってからは全体的に映画は長いものが多くなっていると感じます。それに入れ替え制が加わると、ちょっと時間が出来たから映画でも見ようか、という具合にはなかなかいきません。途中から観る映画もいいものなのに。
2月にお知らせしたくぼたのぞみさんの詩集『記憶のゆきを踏んで』は今月発売となります。ちゃんとバーコードもつけましたので、書店でも入手できるはずです。月末になったら書名で検索してみてください。
イワトでやっていた「高橋悠治50人のためのコンサート」シリーズを夏から再開します。
高橋悠治+波多野睦美+栃尾克樹のCD「風ぐるま」も発売中です。タワーレコードやHMVなどでネット販売されているようなので、こちらも検索を。
それではまた!(八巻美恵)