みんなに義理をかいてまで
こんや旅だつこのみちも
じつはたゞしいものでなく
誰のためにもならないのだと
いままでにしろわかってゐて
それでどうにもならないのだ
(宮沢賢治「異途への出発」から)
斎藤晴彦さんが亡くなったという知らせを受けたのは6月28日の午前中でした。ほとんど事情もわからないまま受けとったその知らせに打ちのめされて、その日は過ぎていったのですが、夕方には訃報としてニュースになりました。
斎藤さんは全国的なニュースになるように役者として社会的な存在でもあったわけですが、ひとりで直面した彼の死を私もひとりで受けとめなくてはいけないと思いました。一対一という関係の基本です。家で献杯もして、斎藤さんとともに過ごしたたくさんのときを思い起こしてみると、いっしょに笑っていたことが多い。斎藤さんは超マジメな人でした。彼の笑いのベクトルはそのマジメさから出てくるものだったと思います。
現在進行形の「冬の旅」は完了形となってしまいました。訪れたのは北海道と東北の何か所か、それも真冬の旅でした。遠野で公演後の打ち上げで、おいしい焼肉をたらくふ食べたあと、深夜の凍りついたすべりやすい道をホテルまで、斎藤さんと手に手をとって帰ったことを思い出します。
「それでどうにもならないのだ」と「みんなに義理をかいてまで」せっかちな江戸っ子らしいさよならのしかただったのかもしれません。それがちょっとだけうらやましく感じられるのは、自分もそういう年齢に達したからでしょうか。
「水牛のように」を2014年7月号に更新しました。
そんなわけで、余裕のないままの更新作業でしたが、こういうときにやることがあることに助けられました。原稿を送ってくださったみなさんと更新を楽しみに待っていてくださるみなさんとに感謝します。斎藤晴彦さんのように生涯現役でいけるといいなと思います。
「ライカの帰還騒動記」が順調に長く続いています。連載をはじめるとき、5回で、と船山理さんは言いました。そのつもりでいたのですが、3回目を読んだとき、どうやって5回で終えられるのか、それは不可能だろうと思ったら、案の定。5回予定の連載が、こころゆくまで書くことに拡大していく場になったのはうれしい事件です。四釜裕子さんも無事に100回ですからね!
7月12日は「高橋悠治50人のためのコンサート6〜夢のたたかい」です。予約していただくのがいちばんですが、当日その気になったなら、ためらわず迷わずにおいでください。
それではまた!(八巻美恵)