雨の日曜日。2月は28日まででかっきり4週間だったので、3月は28日まで2月と曜日がおなじです。この先、日曜日からはじまるのは11月。春が過ぎ夏が過ぎ冬になっているのかと漠然と思い、日本の四季という季節感がどれほど私という身体をつくっているのだろうというところまで考えはのびていきます。子供のころはゆるぎなかった四季の移り変わりは、このごろではとても不安定で、もともと不安定な日本列島という場所に生きていることを思い出させてくれます。
「水牛のように」を2015年3月号に更新しました。
初登場の野口英司さんは、青空文庫をはじめたときのメンバーです。そんなふうに一行で紹介するのがもっとも分かりやすいだろうと思うのですが、実際の関わりはもっと多岐にわたっていて、たとえばパソコンで困ったらすまず彼に相談します。この「水牛だより」も彼が作ってくれたもので、しかも間借りしています。昔、週末に友人と映画を見にいったときに、映画館で「あら!」と出会ったこともありました。映画とサッカーと自転車は、私の知るかぎりでは、野口さんにとってなくてはならないものなのです。そんなことをあれこれ楽しみながら書き続けてほしいと願っています。
冬の寒さは育った東北や松本で、また「冬の旅」で行った北海道などでじゅうぶんに体験していますが、夏の暑さの厳しさなら、なんといっても真夏のバンコクと真夏(雨季)のニューデリーだったなあと、森下ヒバリさんのを読んで思い出しました。特にデリーは大陸の内部ということもあって、湿気と暑さからまったく逃れようもなく、泊まったのはチベット人のいる地域のホテルで、天井ではおおきな扇風機がゆるゆると回転してはいましたが、冷房なし。それから夜行バスでダラムサラまで行きました。ダラムサラは暑いというほどではなかったのですが、下のほうから雲のようなものがどんどんやってきて、やがて雨が降ってくる、それも逃れようのないことでした。チベット人の友人のおかげで、短い時間でしたがダライ・ラマ法王に謁見できたのは、そのときに訪れたからです。
昨年12月に原稿を載せてから、1月と2月は音沙汰がなかった佐藤真紀さん。気になっていたので、ついに「原稿を待っています」とメールを出しました。書いてもらえてよかったと思います。
それでは、また!(八巻美恵)