2016年2月1日(月)

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この冬は週末のお天気がよくないことが多い。晴れて乾燥しているのが東京の冬ですが、曇っている日が案外多く、朝から夕方のようで、そんな日はわたしもぼんやり、みんなもぼんやりしているように見えます。

「水牛のように」を2016年2月号に更新しました。
仙台から雪のたよりがあるのはまあ当然のこととして、今年は暑冬のはずの沖縄にも雪ふる不思議な年となりました。タイでもバンコクは15度くらいになったようですから北のほうはもっと低かったかもしれません。
島崎藤村の随想「雪の障子」は青空文庫で読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/card55958.html

斎藤晴彦さんが日本語でうたった「冬の旅」の最初のツアーは北海道でした。2005年の初夏に録音をし、そのCDを持って冬の北海道をまわったのです。冬というなら2月なんかどうですか、と提案したところ、北海道の人たちは反対しました。年が明けると雪が深くなり、それによっては旅行は危ういこともある。だから、年があける前にしよう、そして道内の移動は飛行機や車ではなく鉄路で、と教えてくれて、少しゆとりのあるスケジュールを組んでくれたのです。旅の間にはもちろん雪の日もあったけれど、予定どおりに終えて帰って来られたのは彼らのアドヴァイスがあったからだと思います。

「冬の旅」といえば、今年の高橋悠治+波多野睦美のコンサートのチラシには16歳のシューベルトの肖像画(デッサン?)が載せられています。見なれたシューベルトとちょっと違って、若い頃(といっても彼は31歳までしか生きなかったわけですが)はこんなにハンサムだったのかと軽くおどろきました。しかし漏れ聞くところによると、あれはやはりシューベルトではなく、シューベルトの友人サークル「シューベルティアーデ」の集まりにいた医者カール・ヨーゼフ・マリーア・ハルトマンなのだそうです。「シューベルティアーデ」のメンバーだったレオポルト・クーペルヴィーザー(1796〜1862)が描いた集まりの水彩画があり、ピアノを弾くシューベルトの向かいに座っているのがカール・ヨーゼフ・マリーア・ハルトマンでした。肖像画にはシューベルトの異母弟による「16歳のシューベルト」という裏書があるためそのような扱いをされてきたのですが、いまは信ぴょう性に欠けると言われているのだそうです。

辺見庸大阪講演会「怒りと絶望は、どのように表現するべきか「戦争の時代」のたちいふるまいについて」のお知らせ。
4月3日(日)大阪市立阿倍野区民センターで13時開演。大人1500円 学生1000円。
申し込みは 2016.4.3@hemmiyo-osaka/info
詳細は特設サイトで。 http://hemmiyo-osaka.info

「水牛のように」に「島便り」を連載していた平野公子さんと島民のみなさんによる『おいでよ、小豆島』が完成、きちんとした小豆島案内になっていて、でもそれだけではない愉快な一冊です。読み終えると、移住したくなっているかも。

それではまた!(八巻美恵)