黄色い鳥と春の声

2月25日、5か月ぶりに帰国した。
ドイツでの仕事が終わって、下関における父の一周忌の法要と、東京で開かれている佐藤真紀さんの『こどもたちの描いた絵の展覧会』に間に合うようにカレンダーで帰国できる日を探したら、デュッセルドルフ発が24日夜、成田着25日、この日しかなかった。エールフランス航空パリ経由の夜便はめずらしく空いていたので、機内では夕食のあと肘掛を上にあげ、3つの座席に毛布を何枚か並べ、小さな"空の寝台"を作って就眠準備についた。幅も長さも全然足りないし、ベルトの金具も椅子のかたむき加減も体には馴染まないけど、でも飛行機の中で"横になれる"というのは最高の贅沢。毛布にくるまって文庫本を読みながら、「あ~、なんと快適!」と大満足。ところが夫はというと、体が大きいので横になるのは恥ずかしいらしい。というか彼が横になるためには少なくとも5つ座席が必要だから、それはなかなか難しいことで、気の毒にも背筋をまっすぐのばし、きちんと座って読書なんかしている。彼が言うには、きちんと座らないと膝が前シートにあたって痛いとのこと。その点、日本人の体型は胴が長く、足は短く、横幅もそんなにはないから長いフライトには大変むいている。海外旅行で日本人が圧倒的に多いのも、もしかしてそれが理由かもしれない。

さて、"空の寝台"に寝入ってから約2時間後、ふと目が覚めた。すでに日本時間に変えておいた腕時計を見ると、(2月25日)12時50分である。その時、はっと思った。ちょうど一年前のその時間12時48分、父は病院で息を引き取った。母と私は10分遅れで間に合わなかった。あれからちょうど一年が経ったのだ。なんだかすぐそこに父がいるようであわてて窓から外を見ると、下のほうに小さな灯りがポツン、ポツンと見えた。ここはロシア上空。そして私は今、父の命日に日本へむかって飛んでいる。これはまったくの偶然......だったのだろうか。

翌日、表参道のクレヨンハウスで行われている佐藤真紀さんの『こどもたちの描いた絵の展覧会』を見に行った。佐藤真紀さんにお会いしたことは一度もないが、ここ数年のイラクにおける想像を絶する難しい状況の中で、常に人々に、とくに子供達に、生きる道と希望と勇気をあたえる素晴らしいお仕事をなさっていることに深い尊敬の念を持ち、さらに"読む水牛"では名前を毎月一緒に並べていただけるので、私のなかでは"クラスメート"の意識が自然と生まれてしまって、この展覧会は何としても是非見たいと思った。

展示されている絵はさまざまで、いくら見ても見飽きなかった。ハイダル・アリ君が描いた"お母さんの涙"、これは涙を流しているお母さんの横に小さなボクが立っている絵で、なんともたまらく悲しい。ヤスミーン・イブラヒームちゃんの描いた、燃えるビルと戦車の間で赤い花をイラク人の手から兵士の手へわたす絵にも心打たれた。空には戦闘機ではなく黄色の鳥が飛んでいたのも忘れられない。その黄色い鳥は東にむかってまっすぐ飛んでいた。

全体に暗い絵を想像して行ったのに、実に色彩豊かで夢のように明るい絵が多かったのにも驚いた。また"黄色"が、ほとんどの絵に使われていたのも大きな印象で、子供ながらに"光"をもとめる切なる心、また"光"だけは失ってはいけない、と叫ぶ声が聞こえてくるようだった。今まで絵を見て、これほど"黄色"に深い感銘を受けたことがあるだろうか。イラクのこどもたちの絵は、私に色の意味をも教えてくれた。

「絵は描けないけど見るのは大好き」と思っていた自分に、この展覧会は新しい刺激をあたえてくれた。絵から伝わってくる声、言葉、ほんとうにすごいと思った。

それから3月はずっと日本で、今日28日はマンションのお花見に参加した。風のない暖かいおだやかな日和だったが、明日は鈴木理恵子さんとのリハーサルがあるし、4月1日はいよいよアコーディオン・ワークスなので、気持ちにも時間にも余裕はない。母には「練習があるからお弁当だけもらって帰るけど、いいでしょ?」と言い、生まれて初めて母子2人でお花見に出掛けた。ところが荒川の桜並木についてみると春の空気が実に爽やかで、気がついたら2時間も居座ってしまった。草の上でお弁当"京友禅"、トン汁、ビールをいただき、ビンゴゲームでは3等賞を取ったりした。

ここでは明るい"春の声"が聞こえてきたけど、でも気持ちはどうしてもアコーディオン......、帰宅して夜までずっと練習していたら腰がズキンズキンしてきた。もう楽器からは体を、譜面からは目を離そう。そして昼に見た美しい桜並木と、広く青い川を頭に思い浮かべて寝ることにしよう。でも、その風景のなかには、あの曲、あの楽章、あそこのテンポ、あの指使い等などが細々と楽譜からおどり出て、ちらちら降ってきそう......

(2004年3月28日東京にて)