水牛とアリババ

メソポタミア文明といわれてもなかなかピントこないものだ。アメリカ軍だらけの今のイラクからメソポタミア文明を想像するのはなおさら容易ではないが、サダム・フセインはそういった歴史を好んで引用していた。2002年のバビロン音楽際では、メソポタミアの衣装を復元したダンスがあった。でも最後のほうはスクリーンに映し出されたスライドは、クルド人の格好をしたサダム、ベドウィンに扮したサダム、背広を着たサダムとサダムファッションショーになってしまった。「イラクには歴史に裏打ちされた文明がある。アメリカにはそれがない」ラマダン副大統領はそういいきった。彼は今頃なにをしているのだろうな。あの時代が懐かしい。

ぼくたちはチグリス川沿いに南下しバスラを目指した。暑くて、へばっていたのだが、2日くらい前から急に涼しくなった。風が心地いい。川沿いには湿地帯が広がっている。昔はもっと湿地帯が広がっていてそこにはマーシュアラブといわれる人々がいたようだ。ところがサダム政権化で灌漑が行われたために多くの土地は干上がってしまったという。このマーシュアラブというのがどういう人たちなのかよくわからないのだが、ともかく水がないと生きていけないようだし、魚を食べないと死んでしまうんだそうだ。砂漠で暮らすアラブ人には、信じられないといった感じ。彼らに言わせればまるで半漁人のようだという。

途中、クルナ村に立ち寄る。森住卓さんが取材した白血病の子どもが住んでいるという。土壁で出来た家は、まるでメソポタミアの時代から変わらない。それでも、そこで暮らす人々はもっとリアルで、リズムを持っていると思う。南から風が吹き、砂塵が舞い上がる。この中には劣化ウランの粒子がきっと含まれているに違いない。45億年の半減期。この放射能で多くの子どもたちが白血病になってしまった。確率の問題ですよ。日本だって10万人に4名は小児白血病になる。「誰も恨んではいけません。確率なんです」と子供向けの本には書いてある。たとえ、10倍に増えても10万人に40人、確率の問題ですという。しからば、思いっきり、息を吸い込んで劣化ウランの微粒子を含んだ空気を取り入れる。これでぼくたちは、平等になったわけだ。あとは確率の問題。誰だって白血病になるんですよ。インシアッラー。

劣化ウランを含んだお茶が出された。ブンジローは、脂汗を流しながら一気に飲み干した。森住さんもちびちび飲み干した。今度はぼくの番だったが、やめにした。それってずるいんじゃないか。そんな葛藤をしているうちにコップのへりに止まっていたハエが足を滑らせてお茶の中に落ちてしまった。「ハエだもの。ごめんね。ハエはいっている。」代わりのお茶を入れようとするのをさえぎった。「もう良いです」

ムスタファ君は5年前に白血病になったそうだが今は元気になっている。「なんか絵を描いてよ」と頼む。ムスタファ君はちょっとつまらない絵を書き出した。「じゃあさ、何か動物書いてみようよ。ほら、猫とかさ」
ムスタファ君は自画像と猫をかいてくれた。これは結構傑作だ。

ムスタファ君に別れを告げて村を出ようとすると、子どもたちが走ってくる。ずっと車を追っかけて走ってくる。映画「ひばくしゃ」の中でもここの子どもたちは走っている。この世の終わりに向けて走っているような気もする。

バスラにいく楽しみは何かというと、病院で子どもたちと遊ぶこと。バスラのイブンがスワン病院の「遊び部屋」はとても楽しい。子どもたちはいつもけらけらわらっている。
5歳のザイナブちゃんは、なんか歌を歌ってくれた。「羊さん、羊さん、ナイフで切られてああかわいそう」という風に聞こえる。お母さんが、促すと次から次へと歌が出てくる。とっても得意げだ。「天使の歌声」をMDに採らせてもらった。それでも、時と場合によっては簡単に子どもは死んでしまう。明日になったら血が止まらなることもある。今のイラクでは輸血もろくに出来ないからそのまま死んでいくのだそうだ。

バスラを後にした。また湿地帯を横目に北上していく。途中には水牛がいた。普通の牛の2倍はある。ドライバーに頼んで車を止めてもらった。実は、この水牛をずいぶんと前からぼくは追っかけていた。昨年の10月、ものすごい勢いで、高速道路を飛ばしている際に、ちらちらと水牛がいるのが見えたが、どうもうまくカメラに収まらなかったのだ。車を止めようとするとかなり遠くであれが普通の牛か水牛かを見分けて運転手に指示を出さなければならない。結構難しい。イラクでは畑に出ているおばさんは全身黒装束だったりするし、黒いヤギもいる。

今度は、ようやく水牛の前でうまく車を止めることに成功したのだった。ぼくはもう喜んでこれをカメラに収めようと、車を降りようとした。運転手が「やめろ」という。何でもアリババ(盗賊)があちこちにいるからだという。「やつらは外国人とわかったら銃を持って襲ってくる。ほらそこで日産のピックアップで待ち構えているのがアリババだ」実際襲われている車もいた。アリババ対策なのだろう。イラク警察があちこちで検問をやっていてその数が20近い。ぼくは残念だったが、車の中から水牛の写真を撮るにとどめた。

人と水牛

人はたがやす 水牛はたがやす
人と水牛の かたく結ばれた
作業のみのりは だれにとられた
田んぼに出ようよ 鋤と鉄砲かついで
貧しさに耐え 涙かれはて
つきぬ悩みも なんでおそれようか
死んだも同じの ひどい暮らしだよ
血も汗もしぼりとり どん底にしずむ
百姓をみくだす やつらは打ち倒せ

タイとイラクではずいぶんと様子は異なるだろうが、ひどいくらしに違いない。