がやがやのメンバーの家族に会ってインタビューしたい、という大学生にくっついて、Rさんの家に行ったことがある。Rさんのお母さんはアルバムをめくり、小学校時代のことを話しはじめた。 同じマンションに住む保育園時代からののともだち、そしてお母さんたちに囲まれて、にぎやかに楽しい小学校時代をすごした、いっつもだれかが遊びに来たり、遊びに行ったりして。
じゃあ、学校で、何か不愉快な思いをされたこと、なかったですか? 付き添いのはずなのに、わたしがインタビューに割り込んだ。
「普通の授業のときは、黙って座って、みんなに迷惑をかけないでいればよかったんだけれど、でも、音楽の授業になると、そうも行かなかった。笛の合奏コンクールがあって、そのとき。」というと、お母さんは一呼吸置いた。「あとから、先生からきいたんだけど、音が出ないようにって笛にティッシュをつめましたって。」また、お母さんが一呼吸置いた。「それをきいたときはねえ。赤ちゃんの頃の方が大変だったから。しょっちゅうひきつけを起こして、靴もはかずに抱きかかえて病院に駆け込む、そんなことばっかりだったから。」
突っ込まれたティッシュを引き抜き、耳を澄ましてみる。
小さな川に 赤い花 流そ 岸辺に咲いた 名も知らぬ願い
ねがい(林光作曲 佐藤信詩)。去年の春頃から、歌集「林光 歌の本」4巻のなかの作品をから手当たり次第に歌っているが、そのなかで彼はこの曲がいちばん好きなようだ。ほかの男の人たちよりも1オクターブ高い少女のような声で、そっと口ずさむ。やさしく歌う声にあわせて、やさしくからだを揺らしながら、両手の人差し指がリズムに合わせて大きな三角を描く。ほらほら、指揮者だと、みんなにはやされると、恥ずかしそうにみんなの前まで進み、人差し指のタクトを振る。
知っている林光ソングを歌い終わり、さらに港大尋作曲作品も歌いきると、わたしたちの持ち歌はぜんぶなくなる。Rさんがわたしの耳元にきてささやく。「ねえねえ、小島さん、『ねがい』、『ねがい』をもういちど」それから勇気をふりしぼり、みんなに向かって、もういちど呼びかける。「『ねがい』もういちど、どうですか」却下されるときもあれば、賛同を得るときもある。
今から二週間ほど前、また別の彼のやわらかな音楽に遭遇した。
ダンサーで振付家の山田珠実さんのワークショップでのこと。新聞紙をあちこちに散らばらせた四十畳の広い和室に、十人ほどの人が目をつむって寝転がり、残りの十人が何かしかけてくるのを待ちかまえた。じゃあどうぞ、と山田さんの声で、しかける側の人たちが動き出した。ふと見ると、Rさんが横たわる一人の女性の傍らに正座して座っている。わたしもそっとそばに正座した。女性の脚部と上半身には、もう一枚ずつ新聞紙が広げてのせられていた。Rさんはていねいに新聞紙を延ばし、さっき置いた新聞紙の上にさらにもう一枚ずつのせた。さらにもう一枚ずつ。さらにもう一枚。サワサワ、サワサワ。サワサワ、サワサワ。Rさんはわたしには目もくれず静かに静かにこの作業をずっと繰り返し、新聞をやさしく積み上げた。羽根布団のようなにふわふわで分厚いベールが、今日、初めてあったばかりの彼女を覆った。
もうおしまい、さあ、もう帰りの支度をしましょう、というそのとき、Rさんは必ずみんなに呼びかける。「『いつでも誰かが』をやろう!」この提案は、けして却下されることがない。図書館でCDを借り、録音してきた上々颱風のカセットを、Rさんがプレーヤーに入れる。音楽が鳴りだすと、さっきまでと隅っこにいた人も、なんだかやる気のなかった人も、にわかに動きだす。人気のない夜の寝静まった野原に、海から森から天から地から様々な生き物が繰り出してきて、秘密のお祭りを始めたみたいだ。上下にまっすぐぴょんぴょん跳ねつづける虫、でんぐりがえしをする岩、学校で覚えた別の曲の振り付けで踊りつづける何者か。レゲエのリズムに乗って、みんなのからだが弾む。どんどん弾む。弾み続ける。
音楽が終わると、部屋はパタッともと通りに寝静まる。「いつでも誰かが」はがやがやの終わりの音楽。どの人も、もうこの場所には用はないといった感じで、さっさと帰りの支度を始めている。Rさんはもう靴を履き、出口に立っている。踊り終えたダンサーたちは、味気ないほどすばやく夕暮れのなかに消えていく。