砂漠のスーパーマン

デンマーク、2003年のイラク戦争のクルド難民が、今コペンハーゲンで暮らしている。この一家と一緒に、絵本を作ろうというのが今回の訪問の目的だ。小雨降る朝、飛行場に降り立つと、ファーデル(19歳)が迎えに来てくれた。私のスーツケースを取り上げて、バス停まで運んでくれるが、コロをうまく転がす方法を知らず、ぼこぼこぶつけながらしんどそうに運んでいる。

ファーデル一家は9人家族。お父さんは83歳。一番下のアーデル君は11歳だから70を過ぎてからの子どもだ。結局他にも6人くらい子どもがいるらしく、合計すると一ダースを超えているのだが、詳しくはよくわからなかった。このイラン生まれの老人の生命力は驚くべきで、イラン革命で祖国を追われイラクへ移住、そしてイラク戦争でイラクを追い出されたのだ。いまだに威厳すら感じられるのである。

「子どもたちが体験した砂漠の生活を書いて欲しいんだ」
逆立ちの大すきなアーデル君(11歳)とスウェイバちゃん(13歳)がちょうど手ごろな年頃だ。
「それは、いい考えだ。本になるんだね。僕も描くよ」とファーデルが描き始めた。
とても下手な絵だったので、「もういいよ。子どもたちに集中してもらおう」

そんなわけで、一週間、こもりながら子どもたちと絵を描くことになった。アーデルもスウェイバも昼間は小学校にいってデンマーク語を勉強している。私は、コペンハーゲンの町をうろつきながら時間をつぶす。ファーデルは、働くことを考えている。デンマークの難民政策も、政権が右傾化して、厳しくなっているという。難民を手厚く保護すると、今度はデンマーク人が文句をいう。
「商売を始めたいんだ。お金を貸してほしい」とファーデルが切り出してきた。
「私も貧乏だからね。でも本ができればいくらかお金が入ってくるよ」
「そいつはいいや」と有頂天になっている。

ファーデルの近くには50を超えた姉たちが別に暮らしている。彼女たちは、デンマーク語の学校に通うわけでもない。生き別れになった弟がニュージーランドに再定住したので、いつも弟に会いたいとファーデルたちを困らせている。
「毎日なんだ。みんなうんざりさ」いまだに、砂漠のキャンプから外に出られない人たちがいるわけだから、ニュージーランドにいけただけでもありがたいと思わないと。イラク難民は100万人はヨルダンにいて、難民認定されるのは、毎年数十人、受入国が決まるのはその中でも本のわずかにすぎない。

さて、子どもたちの絵はどうなったか。
アーデルが見せてくれた絵は、スーパーマン! そんなのキャンプにいなかっただろう。それでもアーデルは調子に乗ってスーパーマンの絵ばっかり描いていた。
 次の日、見せてくれた絵は、怪獣の絵。そんなのいたの? それでもアーデルは怪獣の絵を描き続けた。

一方、スウェイバの方は、私の意図を理解してくれて、キャンプの生活を、描いてくれた。お姉さんのシーシャ(18歳)も手伝ってくれて、素敵な絵を描いてくれる。私はお礼にシーシャの英語の宿題を見てやったりしたが、スウェイバが今度はなんとなくすねてしまった。この3人は、ひっきりなしにファック・ユーと罵り合っている。アーデルとシーシャは、ファックユーとつばを吐いて、殴り合いのけんかを始めてしまうありさまだ。

おそらく衛星放送のTVを見て覚えるのだろう。イランのMTVのような番組があり、これがなかなかファックユーな音楽で、露出度の高いお姉さんが踊っている。今のイランからは想像できない映像だ。彼らはイラン語(ペルシャ語)もわかるので大喜びで見ている。でもお父さんがやってくるとあわててチャンネルを変えて、クルド語の放送になる。そして、延々と続くクルディッシュダンス。テンポが速く、リムスキーコルサコフの蜂が飛んでいるみたいに聞こえる。

そして、毎日クルドのお茶をのんだ。角砂糖を口の中にほうばり、紅茶をグラスから受け皿に注いで、ずずーと口に含むと砂糖を溶かしながら飲んでいくのがクルド流の茶道だ。シーシャもおてんばのスウェイバもよく働く。ファーデルがえらそうに「おーい、お茶」といえば、文句も言わずにお茶を出してくれる。おかげで、膀胱が破裂するくらいお茶を飲んだ。

デンマークとクルドが混在する中であっという間に一週間が過ぎた。若い子どもたちはすっかりデンマーク人のようになっている。ちょっと年取った子どもたちは、生活のために何とかデンマーク語を覚えようとがんばっている。老人たちは、クルド人として一生を終えようとしている。難民の世代を絵本で表現できないか? それが今回の企画だった。

ファーデルがうれしそうに「本はできそうかい」と聞いてくる。
「タイトルが決まったよ。スーパーマン・砂漠に行く」
私は苦笑いしながら、これじゃ本にならないよとつぶやいた。