しもた屋之噺(60)

ミラノは朝晩の冷え込みがずいぶん厳しくなってきて、ひどい日は、明け方は2℃近くまで下がります。そんななかしばらく前に庭にまいておいた芝の種が、10日以上も経ってから、少しずつ芽を吹き始めましたのには、少し驚きました。当初は春になったら種をまくつもりでしたが、このマンションに来ている造園業者が、冬に芽を吹かせて寒さに耐えさせると、芝はずっと強くなるといわれて、試しに種を蒔いてみたのです。

11月は瞬く間に過ぎてしまいました。月の初めはレッジョ・エミリアの音楽祭でフューチャーされたノーヴァの新作を振っていて、パンソニックという有名なフィンランドのテクノ2人組が、インプロヴィゼーションとヴィデオで参加していて、彼らがおかしいほどまったく無表情だったのが印象に残っています。ベルリンを中心に活動していて、かなり有名なテクノ・アーチストなのだそうですが、何しろこちらはまったくの門外漢で、最初はサウンド・エンジニアの人とばかり思っていました。演奏会のあと、「ご一緒できてとても楽しかった」と全く無感情に話してくれましたが、友人に言わせると、それはかなり喜んでいたに違いないということでしたから、普段なら全く何も話さないところだったのでしょう。

演奏会の後すぐに車でミラノに戻り、身支度を整え、次の日の朝早くロスに出かけました。練習させてもらっていたロスのイタリア文化会館長・ヴァレンテさんと知り合い、お寿司を食べながら、色と話題を交換できたのは楽しかったし、ダンス・カンパニーとの合わせもスリルがありました。何しろダンサーたちが準備するために用意された録音がとんでもなく遅いテンポのものだったため、こちらが妥協するより仕方がなかったからです。イタリア現代音楽を、ロスのミュージアムで紹介する企画でしたが、なるほど、こういう風にアプローチをするのがアメリカ流なのだなという感じ。

本番直前、ダンサーの踊りが気に食わないとナーヴァスになったプロデューサーが突然どなりだし、これじゃ全てが終わりだ、なんだかんだと大騒ぎして、最終的にイヴェントが済むと、感激して涙ぐみながら彼らは肩を抱き合って大喜び、という典型的なハリウッド映画のストーリーを目の当たりにしたのも、ちょっとした収穫でした。さすが、ハリウッドの本拠地、ロスだけのことはあります。

ロスから帰ったその日に、モーツァルトの40番とショパンの1番の協奏曲の本番があったのですが、本番3日前に突然メールがきて、ショパンのソリストが事故で手を痛めて弾けなくなったので、モーツァルトの21番の協奏曲に変更といわれて、まあ21番なら前に振っているからミラノに戻れば自分のスコアがあるものの、当日のドレス・リハーサルぶっつけで本番というのも嫌なので楽譜をロスで買い求めようとするとこれが大変で、結局ロスにはなくて、隣の街まで1時間以上も車を走らせなければいけなかったのですね。それでもベーレンライター版はなくて、ドーヴァーの廉価版のみ。あちこち楽譜を探しているとき、ハリウッドの楽譜屋にも立ち寄りましたが、店内にはカントリー・ミュージックが朗々とかかっていて、当然何もないだろうなと思ったら、ありますよ! と誇らしげに店員がいうので、何かと思うと、2台ピアノのリダクション版でした。これがあるのはこの辺ではうちだけだ、と相変わらず誇らしげでしたから、まあおそらくその通りなのでしょう。何しろハリウッドですから。

ロスからミラノ、という旅程を、勝手に東京とミラノ程度に軽く考えていた自分がいけないのですが、実際は倍とまでは言わないまでも、ロスからフィラデルフィアまで飛んで、そこからミラノまでが東京―ミラノ間という感じでしたから、ミラノに朝早く着いて、家でシャワーを浴びて着替えて、自分が使ったモーツァルト21番の楽譜に目を通しながらドレス・リハーサルに出かけるのは、正直言ってかなり疲れました。それでも練習、本番はとても順調に終わり、お疲れさまと皆がピザを食べている傍らで、あれはおそらく大いびきをかいて寝込んでいたに違いありません。後で起こされたときに体の節々が痛くてびっくりしました。いったいどういう格好で寝ていたのか、考えたくもありません。

それからしばらくの記憶がないのですが、学校で生徒を教えたり、ボローニャに中嶋香さんのリサイタルを聴きにでかけて、思いがけずパリから来た権代さんに再会したり。中嶋さんのリサイタルはすばらしいもので、演奏会の最後をかざった権代さんの曲も素晴らしかったし、その前に演奏された悠治さんの「乱れ乱れて」も周りの観客から絶賛されていました。「乱れ乱れて」の演奏方法について、中嶋さんがコメントをしてくれたのも聴き手にとって良いガイドになったのかも知れません。リハーサル中、中嶋さんが「乱れ乱れて」も権代さんの曲も、演奏会の最後の演目でしか弾いたことがないから、続けてこれらを二つ弾くのは集中力が持たなくて大変、と仰っていたのが印象に残っています。全然そんな感じはしませんでしたけれども。

何が忙しかったのか、とにかく子供を中心に時間が動いていると、自分の用事の記憶がきれいに消えうせてしまうようです。さもなければ、本当に子供のことばかりしていて、自分たちの用事は捨ておかれていたのか。
もっとも、基本的に日記でもつけていない限り、普段でも何も覚えていないわけで、だとすれば子供はあまり関係ないようです。もうここ暫く、自分が何をどうしなければいけないのか、身の回りのことすら十分把握できないまま、毎日を過ごしていて、朦朧としている感じです。

一昨日、ベートーヴェンの2番とヴァイオリン協奏曲の演奏会があって、練習に出かけると、オーケストラに思いがけない知り合いやら、前にオーケストラ・クラスで教えていた生徒がいたりして愉快だったのですが、とにかく一体どうやって勉強したのか自分でも不思議です(毎朝、4時位からもそもそ起き出してはいましたが)。

ともかく演奏会は無事終わり、昨晩家人と子供を空港まで見送りにゆき、これから暫くの間、久しぶりの一人暮らしに戻ります。家人は空港に向かう電車の中で、ずっと台所の換気扇をどうするか気にやんでいました。2ヶ月かけてようやっと届いた換気扇が(一度はどう間違ったか、ベッドの骨組みが送られてきました)、どうやらうちの部屋の形状に合わないということがわかったから。

まだまだ、家も完成というところには程遠く、下の部屋につけるランプは用意してあるもののまだつけていないし、まああちこち足りないものがあるわけです。それも、頭のなかの「しなければいけないリスト」に書き加えてはあるのですが、はなから朦朧として回らない頭をどうやってやり過ごすのか。数日後にリハーサルを控えているドナトーニとブーレーズの譜面はまだ全く開いたこともないし、これから出かける税理士さんは(全てがこんな調子なので)いつも怒られるからおっかないし、数通既に届いている新作の催促のメールはぐるんぐるん頭を巡っているし。とりあえずまずは今日出来ることを何とかこなしてみることにします。家人とすっかりヤンチャになった赤ん坊が、無事に東京にたどり着くのを祈りつつ。

(11月30日ミラノにて)