しもた屋之噺(63)

学校の授業なども忙しく、何をしていたわけでもないのに瞬く間に一ヶ月が終わってしまい、来月初めにサンチャゴであるモーツァルトの大ミサ曲や、フォーレのレクイエムなど、全く満足ゆくほど譜読みができていません。そんな中、チェロを趣味で弾く建築家のサンドロが、音楽と建築というコンフェレンスを開くので、ちょっと相談に乗ってくれと電話をかけてきて、彼の意見を聞いてみると、これがなかなか面白い切り口で、ちょっとここに書いてみたくなりました。

たとえば建築にも協和音、不協和音があるというのです。和音というより、むしろ調和のバランスなのでしょうが、サンドロいわく、和音を形作るのは素材だそうです。ここを見てよ、もと工場を改装して作ったうちの家は、外壁はレンガのままだろう。そうして、そのレンガをくり抜いてガラス窓をつけた。これは建築上で言えば不協和音となるわけさ。ガラスは構造上レンガが支えるべきエネルギーには耐えられない。構造上の不調和さ。こうしたモダンの建築には、そうした構造上の矛盾のあそびを存分に組み入れて、別の次元の調和を形作っている。そう考えれば、ピタゴラスの時代から連綿と続いてきた和音の発展の歴史に似ていると思わないか。

なるほど、レンガの壁が構造を支えたロマネスクの教会から、天に少しでも近づこうと巨大な柱で鋭い構造を支えたゴシック、それを落ち着かせたルネッサンスと、和音の歴史と平行に鑑みて、確かに近しい部分も感じなくはありません。近代に入って、より和音の調和が飽和されてゆき、全く別のファクターが構造を支えるようになってきたあたりも似ています。イタリアで言えば、ムッソリーニが台頭した戦時中、古典の精神に回帰しつつ、大げさな身振りで飾り立てた数々の建築物は、確かにイタリア人が嫌いなレスピーギの趣味に見事に合致します。

それに調和というものは、建築家にとってとても大切なもので、たとえばここに二つ椅子が並んでいて、少しずれているだろう。これが生理的に我慢できないんだ。別に家が片付いていないと気持ちが悪いとかではなくて、据わりが悪いというのか、空間の密度の調和が乱されているのが耐えられないわけさ。あの引き出しのあたりは書類が散乱して見られたものではないが、生理的には別に特に厭なわけではない。ところが、こうして、椅子がちょっとずれているだけでも、却ってひどく気にさわったりするものなんだ。

それとは別に、サンドロが思うところの音楽のダイナミクスは、建築においては影にあたると言います。ちょっと意外な視点で、建築よりむしろ絵画的な発想かとも思いましたが、彼曰くさまざまな角度がかもし出す影こそが、建築にボリュームを与えるのだそうで、鋭角の陰、鈍角の陰、長方形に跳ねる陰、長く尾を引く陰など、それぞれの影を頭のなかで投影させながら、建築物のボリュームをイメージしてゆく、はるか昔からこうした建築家のスタンスはほとんど変わっていないのだそうです。イタリアでは特に前衛的な建築家として名を馳せるサンドロがそういうと、素人が聞いても妙に納得させられます。

建築と音楽について意見を求められたので、こちらも思ったことをつらつら並べてみました。言うまでもなく、古代ギリシャから今まで、西洋音楽と建築、数学とはとても密接な関係をもって発展してきましたし、今でもそうです。それを踏まえて敢えて言えば、建築は音楽でいえば作曲により近しい作業で、構築するもの。絵画や彫刻などは音楽のなかで表現する、演奏行為に近しい作業かと思うのです。

建築も最初に霊感ありきに違いないでしょうが、構造計算ができて、文字通り構築させる別の能力が必要とされて、その上構築させる別の人々の手によって最終的に実現させられるべきものです。作曲もいくら霊感があっても、構築し他人にゆだねられる状態にできる技術がなければ、作曲の行為として成立しないところが似ています。

演奏だって同じだろう、技術がなければ演奏できないのだから、と反駁できますが、表現するための技術と作曲の技術はちょっと違う気がするのです。作曲の技術は、つまるところ論理的に噛み砕けるものであって、表現するための技術とはどこか一線を画しています。その意味で、絵画などの表現の技術、他者を介さず自ら完結させる表現の技術と演奏は近しい気がします。

ちょうどモーツァルトの大ミサを譜読みしているので、余計そう思うのかも知れませんが、この楽譜など、モーツァルトが自身の感情をなぐり書いた、そんな直裁な次元でとらえることは出来ないとおもいます。天につきだす、純白の石をつみあげて造った巨大な教会のファサドを見上げているような、畏怖に近い感情のおののきが、楽譜を開くたびにこみ上げてきます。古い教会に入ると、床にはめこまれた大理石のタイル一つ一つが、磨耗して凸凹になっていますが、同様にフーガの音符一つ一つが、まるでてらてら光る、石の床のように見えることすらあります。

高校のころ祖父が亡くなり、納骨を済ませた翌朝学校にもどり、一人図書館の視聴室で何気なくフォーレのレクイエムを聴いたとき、それまで全く涙もでなかったのが、冒頭のニ音のユニゾンが鳴った瞬間、とめどもなく涙が噴き出てきたのを思い出します。突如目の前に巨大な壁が出現したかのごとく、文字通りの断絶感、絶望感を味わい、どこかに潜んでいた悲しみが一気にこみ上げてきたのでしょう。思えばあれが、音楽が建築物だと実感した最初の体験だったのかも知れません。

もうすぐ東京から遠くはなれた地でこの曲を演奏するとき、きっとあのよく晴れた朝の空を思い出すに違いありませんが、そうして終曲In Paradisumまで辿りついて、一体目の前にどんな色の風景がひろがるかと思うと、なんとも胸がしめつけられるような気もするのです。

(2月24日ミラノにて)