プンドポという空間

先月号で書いたように、2月にインドネシアで能を紹介する事業をした。その中で空間の使い方についてあらためて考えるところがあったので、それについて書いてみる。

今回の企画のメイン会場はインドネシア国立芸術大学スラカルタ校(ISI Surakarta)だった。ジャワの王宮や庁舎などと同様に、この大学にも立派なプンドポというホールがあって、各種式典や公演に使われている。プンドポとは壁がなくて床(たいていは白い大理石)と屋根と柱から成るオープンな空間で、いわば表の間、晴れの間である。プンドポは必ず奥の間(ダレム)を備えており、芸大の場合はここに着替えをする支度部屋がある。プンドポでは中央の4本の柱(これをソコ・グルという)で囲まれたところが一番重要な空間で、儀礼や舞踊は必ずここで執り行われる。

今回、芸大では、公演だけでなくワークショップもレクチャーもすべてこのプンドポで行った。芸大のプンドポは間口が約35.8mもあり、その中央に約15.6m四方の舞台があって、周囲より約40cm高く作られている。ソコ・グルは舞台の縁から約3.4m入ったところにあり、その内のりは約8.8m四方である。能舞台の大きさが三間(約5.4m)四方だから、かなり大きな空間だ。

 ●観客席
レクチャーとワークショップの時は、舞台上のソコ・グルの外側三方(ダレム側を除く)にじゅうたんを敷いて参加者に座ってもらい、ソコ・グルの中で実演・体験を行うことにした。参加はしないけれど見たいという人は、舞台下に置かれたパイプ椅子(そのために20脚ばかり用意してある)に座っている。そして公演の時はソコ・グルの中が舞台スペースで、観客は舞台下、三方に敷いたじゅうたんに座ってもらうことにした。しかし、私の意向は少し捻じ曲げられて、舞台正面席は椅子席に変えられていた。この点ついては次の項でもう一度述べる。

三方に観客席というのは私の意図したことだったのだが、初日の講演のとき、能楽師さんたちは二方向、つまり舞台正面と舞台に向かって左手側にじゅうたんを敷こうと考えていたようである。そう、能舞台はこういう配置になっていて、能楽堂なんかでは舞台に向かって右側はすぐに壁になっている。

しかしジャワで二方向に席を作る場合は、普通、舞台正面と舞台に向かって右側に作り、左側にはガムラン楽器を置く。スラカルタ宮廷でもマンクヌガラン宮廷でもそういう配置になっている。

その一方で芸大の場合は、舞台奥にガムラン楽器が設置されている。(ダレムからの通路が正面奥にあるから、その通路の左右に分割して置いてある。)実はこれは異例のことだ。結論を先に言うと、正面に楽器を置くというのは、音楽こそが重要だという主張であり、また芸術上の舞台効果を考えた配置である。ジャワではダレムを背に王が座り、その目前で儀礼が展開される。舞台正面の席に座った列席者は、儀式の内容と王だけが目に入ることになる。いわばBGMを流す音楽家は影の存在なのだ。しかし、芸大では当然音楽(家)の地位は高いし、さらに儀式と切り離して舞踊だけを鑑賞させるということになると、舞踊の背後に演奏も見える方が舞台効果がある。そういうこともあって、私の知る限り、日本のガムラン・グループの、あるいは来日するガムラン舞踊の公演では、いずれの場合でも舞台奥に楽器を置き、その手前で舞踊が上演されている。だが、これは現実のジャワ宮廷のプンドポではあり得ない配置なのだ。

そういう目で見ると、能の場合は音楽家(囃子方)もコーラス(地謡)も舞台の正面奥に位置しているということがユニークだ。この人たちは舞い手と同格に観客に対峙している。講演の時、増田先生は「能には伴奏という概念はなく、演奏家も舞い手と同格だ」ということをおっしゃったけれど、それはこの舞台での位置にも現れている。

話は元に戻る。二方向の取り方が違っていると、重要な観客席の位置も変わってくる。能の場合だと、舞台に向かって左手前の柱は一番邪魔な存在なのだが、実はこの柱のまん前がいい鑑賞ポイントなのだ。シテはこの柱を頼りに己の舞台上での位置を確かめる、ということで、この柱は目付け柱と呼ばれている。逆に言うと、この柱の前の席に座っていると、シテがよく自分の方を向いてくれるのだ。しかし、芸大での公演では、案の定、目付け柱の外側にじゅうたんはなく、ぽっかりと空いていた。これはもったいないと、急きょ余っていたじゅうたんをここに持ち込んだのだが、詳しく説明をする暇もなかったので、芸大の劇場関係者にはその理由が分からなかっただろう。そんなことをする必要はないと始めは抵抗された。

 ●椅子席
公演の時に、舞台正面の席は椅子席に変えられていた。これは能楽師さんたちの反応はともかく(まだ反聞いていない)、私には大いに不満だ。しかし時間的な制限もあって、椅子席を取り払えとは言えなかった。実は11月にジャワ舞踊公演を芸術高校のプンドポでしたときも、私は観客席に椅子は不要と主張してジャワの人たちから反論を食らっていた。彼らは、VIP席として舞台ま正面の椅子席は必要だと強固に主張する。

私は、ご老人やVIP用に観客席後方に椅子を並べるのは差し支えないが、前の方は三方ともじゅうたん敷きにして、観客には床に座って見てもらいたいと主張した。芸大のプンドポはそれほど床面が高くないから、椅子を前から並べたのでは観客の視線が高くなり過ぎてしまう。しかし後方遠くから舞台を見るのならば、相対的に視線は下がるから椅子席でも良い。それにこうすれば多くの観客に舞台を良い状態で見てもらえる。能やジャワ舞踊の公演では、観客が憧れの気持ちを持って舞い手を仰ぎ見るような舞台にしたい、と私は思う。それに椅子を並べるだけだと、2、3列目くらいから後ろの人には舞い手の足元がほとんど見えない。舞踊の公演で足の表現が見えないのでは、半分以上魅力が薄れてしまう。舞台はテレビではないのだ。

舞台に浮かぶような舞い手を低い位置から見てほしいという要求は、観客に対する高飛車な要求なのだろうか。エライサンに対してそういう見方を要求するのは不遜なのだろうか。私は、そういうジャワの人たちのVIPにおもねる姿勢が好きではない。芸大での公演に来るVIPというのは学長をはじめとする大学側のエライサンが多いだろう。彼らも元・芸術家なのだから、その芸術表現が生かされる空間、観客席のあり方に理解があってもよさそうなものだ。

実は芸大でも、学長以下全員がじゅうたん席に座ったことはある。私がまだ留学していた時で、アミン・ライス(政治家)が芸大で講演したのだ。このときは舞台真ん中に演壇が設けられ、アミンライスがそこで講演し、VIPたちはプンドポ正面に、それ以外の学生たちはプンドポの左右に座った。芸大のエライサンだけでなく大物ダラン(影絵操者)だとか王子だとかいろんな人が来ていたけれど、椅子席はなかった。このときは舞台空間だけでなく、プンドポの空間全体が広々と見通せた。こんな風に観客に座ってもらえたら、舞踊空間がもっと生きてくるだろうにと思う。このときはアミン・ライスが話者だったからエライサンたちも床に直接座ったのだろうか?

 ●空間のダブル・スタンダード
エライサンと舞踊空間ということでもう1つ衝突があった。公演が始まる前に芸大学長の挨拶があったのだが、準備の時にマイク・スタンドが舞台中央に置かれていたのだ。これには能楽師さんたちがぎょっとして、もし学長が靴を脱いで舞台に上がってくれるならマイクはそのままでも良いが、そうでなければマイクを下げてほしいとお願いした。ところが芸大の劇場担当者は「「学長に靴を脱げと言うことはできない」と言う。結局ソコ・グルの外側にマイクを置いて、学長はそこに靴を履いて登って挨拶をし、ソコ・グルの中には立ち入らないということで落ち着いた。

足袋が汚れるという表面的な理由ではなくて、能楽師さんたちにとって舞台という空間は何よりも神聖な空間なのだ。それは多少鈍感であっても、日本人ならば理解できる感覚だ。第一、日本では家に上がる時には履物を脱ぐ。これは身分の上下を問わない。身分が低ければ履物を脱がねばならないが、身分が高ければ土足のまま座敷に上がることができる、ということは日本ではあり得ない。

だが、ジャワの伝統空間は日本ほど一元論的ではない。たとえばジャワの宮廷に入るときは、伝統衣装で正装して宮廷に入る場合でも、また伝統衣装を着ていなくても、必ず履物を脱がないといけない。観光客として入る場合も同様だ。これはジャワの社会が宮廷を頂点とした階層社会になっているからである。しかし、実は履物を履いたまま宮廷に入ることができる場合がある。それは靴を履き洋装の正装をして入る場合である。

なぜ靴ならば良いのか。これはおそらく、オランダ殖民政府の存在を宮廷支配の体系に位置づける上での妥協の産物だと私は思っている。ジャワ宮廷はオランダ殖民政府の威光をバックにして王権を維持してきた。つまりオランダはジャワ社会の外の存在で、ジャワの階層の中に組み込まれてはいない。だから植民政府のオランダ人高官は、当然のことながら靴を脱いでジャワの王に敬意を表明する必要などないのである。オランダ人=西洋人の正装では靴は踵を覆うデザインだが、それに対してジャワの伝統衣装を着る時は、スリッパ、サンダルのように踵の開いたデザインの履物を履く。だから靴を履いているということは、すなわちジャワの伝統秩序を超越した存在だということなのだ。

さらにジャワでは、一般の家でも靴を脱いであがるかどうかは、その客人のステータスや衣装にかかっている。靴を履いた客人が土足で他人の家に上がるのを躊躇せず(ジャワの家屋の床は土間かタイル張りである)、またホスト側もそれを容認するというのは一般に良く見られる光景である。

だからこそ、エライサンに靴を脱いでくれとお願いするのは、ジャワの伝統社会では間違ってもできないことなのだろう。靴を履いたエライサンが土足で舞台に上がった直後に同じ場で舞踊が上演されるということについては、能楽師さんたちに指摘されるまでもなく、私自身だっていまだに違和感を感じていることなのだ。

ジャワでは、床に座る、履物を脱いで家に上がるという伝統的な秩序体系に、椅子や靴という治外法権的な秩序があって、ダブル・スタンダードを構成している。だから、神聖な舞踊空間という概念は、ジャワではオランダ殖民政府の存在を敢えて失念したところに成立する、理想的な王宮社会の中でのみ保ち得るもののように思う。そういうことを、まだジャワ人自身があまり意識していないような気がする。