「イポポー、パパー、イポポー!」
2歳4ヶ月になる息子のお気に入りは、指揮の恩師からもらった、木製の小さな軽便鉄道セットで、木のレールを好きに組合わせて、赤、黒、緑、青ときれいに塗られた小さな機関車やら貨車やらを走らせます。
今はもう高校を卒業しようかという恩師の長男ロレンツォが、その昔さんざん遊んだ模型のお古で、とても大切に使ってありました。
息子も、早朝ベッドから起掛けに、さっそくおもちゃ箱からゴソゴソと汽車を出しては、「イポポー(汽車ポッポ)、イポポー」とはしゃいで嬉々としています。ご飯だと言聞かせてもやめないときは、わめく息子を無視して、しまいにはさっさと片付けてしまいます。子供のベッドに寝かしつけるときも、「イポポー、イポポー!」と、機関車を布団に持ち込みたがるのですが、つい遊び道具を許すと、結局遊び始めてなかなか寝付かないので、様子をみて埒があかなければ、お前はもう寝るんだから、と取上げて、泣き声を聞きつつ、ベッドサイドに並べてやったりします。
男の子が小さいころから鉄道や車が好きなのはごく自然のことでしょう。自分もその昔は軽便鉄道が大好きでした。ミラノの自宅は、ポルタ・ジェノヴァからアレッサンドリアに延びるローカル線の脇にあって、長らく放置されていて、最近使われだした、雑草の生い茂るひなびた引込み線が並走しています。少し行ったところにサン・クリストーフォロ駅があって、シチリアやバーリまで車ごと旅行できる列車の発着駅となっています。
庭のレンガ壁の先、2メートルあるかないか、文字通り目と鼻の先にある、背丈より高い雑草の繁茂するひなびた引込み線で、毎日数回、ガサガサと草を掻き分けながら、のんびり車を載せる貨車の入れ替えをやっていて、機関車のディーゼル音が近づいてくるたび、息子は、窓から身をのりだして、「イポポー、ピー!(汽笛)、イポポー、カタンカタン!(車輪の音)」と歓声を上げます。
あまりに線路が近いので、ちょうどミラノを訪れている母など、初めて見たときは、「ちょっと、大変だよ!」と慌てて知らせにきてくれたくらいで、毎度見るたびに、もし自分が子供だったら、さぞかし興奮しただろうなと思ったりします。息子がうれしいのは当然だ、と妙に納得するのです。
ふと、自分が小学生のころ、父親に頼んで、加古川や七戸の軽便鉄道に連れていってもらったことを思い出しました。あれは小学校の4年生か5年生くらいだったと思いますが、軽便鉄道をどうしても見るため、父親と母親と3人で労働者用の簡易宿泊施設に泊めてもらった記憶すらあります。よほど場違いだったからでしょう、肝心の軽便鉄道より、プレハブ作りの宿泊所が今も鮮明によみがえってきます。野辺地に着いたときは確か寒くて雨が降っていて、出かけるときは上野から夜行列車に乗った覚えがあります。子供には、それもとても嬉しいものでした。七戸から下北半島にも少し足を伸ばして、父親と偶然に途中下車した駅の周り一面、表札が「杉山」だったことにびっくりした覚えがあります。
考えてみれば、父親は当時、たびたび徹夜で仕事をこなしていて、家に戻らないこともしばしばでした。それなのに、こうして無理に時間をつくっては、愚息の他愛もない道楽に厭な顔もせず付き合い、青森まで面白くもない軽便鉄道に一緒に足を運んでくれたのか。そう気がついてはっとさせられました。
自分だったらどうだろう。職種も違うし、ここは自宅も仕事場を兼ねているし、子供と顔を合わせている時間だって同じではない。でも、もし父だったら、息子がご飯も食べずに機関車で遊んでいたとしても、眠りたくないとベッドで機関車をいじっていても、何事もなかったかのようにおもちゃを取上げただろうか、おそらく違ったのではなかろうか、と。
そう思うと、すやすやとベッドで寝息を立てている子供が妙にいじらく見え、今も明るく元気に応対してくれる父親が、とても深いものに感じられます。子を持って初めて気がつかされることの多さに、こうして思わず言葉を失うことも少なくありません。