しもた屋之噺(69)

まだ日本は暑さが厳しいようですが、ミラノは秋虫が鳴いて、朝晩はずいぶん涼しくなりました。7月まで雨が涸れ、周りの緑がすっかり萎びていたのが、8月に続いたスコールのおかげで、今ではすっかり青々と葉を伸ばし、目を楽しませてくれます。

一昨日までロヴァートのホールで、ジェルヴァゾーニのポートレートCDを録音していて、毎日のように空を見上げては、雲の美しさに見とれていました。気のせいか、かの地でその昔活躍したマンテーニャの筆致に、どことなく風景が似ていて、表現は豊かだけれども、息を呑むような視点で瞬間を切り出して見せるところがあり、録音の合間にも、窓の向こうの見事な色彩に、誰もが思わずため息を洩らしてしまう程でした。薄く色を変えて何層にも複雑に重なり合う尾根のシルエットから、飲み込まれそうに澄んだ蒼い空が溢れ返っていて、そのキャンバス一杯に、力強く積乱雲が吹き出しています。そうして、日が暮れるころには風景すべてが夕日に染まり、まばゆいばかりの黄金色に輝くのです。

ジェルヴァゾーニ作品は、時にとても悲痛に終わるのですが、録音の間、頭を過ぎったのは、目の前のこの燃え立つ夕陽でした。ここ数年、演奏や練習を繰り返しながら、自分なりのジェルヴァゾーニ観を形成してきた積もりでしたが、今回改めて楽譜と対峙してみて、また別の側面から彼の音楽にアプローチしたいと思いました。
数的につむがれた構造と、カスティリオーニのような無邪気さ、透明な音の繊細さが、劇的表現と共存していて、以前はそれらを主観的に捉えて演奏していたのを、今回は出来るだけ自分や演奏者から音楽を切り離し、音楽そのものが独自の空間を持てるよう腐心しました。

この前ジェルヴァゾーニ本人に会ったのは、パリ国立音楽院のピアノが3台置かれたレッスン室で、扉を開けるなり、引退したヌネシュから引継いだ生徒たちの楽譜を見せて、意見を求められました。印象に残っているのは、3台のピアノのうち、2台のグランドピアノは4分音ずらして調律してあり、1台の縦型ピアノは、16 分音で調律された特別なピアノで、傍らでジェルヴァゾーニが ひたすらパンを齧りながらレッスンしていて、他の練習室から聞こえてくる曲が、メシアンだったこと。

そんな中、彼がパリ音楽院教授職の最終面接にペッソンと二人残っている、と声をひそめて話してくれた時のことを思い出していました。今から2年近く前、ヴィオラのPと三人で入ったベルガモの小料理屋で、濃厚なロバ肉の煮込みと上質のポレンタを、土地の芳醇な赤ワインと一緒に食べていたこと。今回の録音の段取りなど、取留めもなく話していたこと。

今しがた受け取ったばかりの彼からの電子メールに、「根無し草のように45年暮らしてきた、こんな人生は満足よりむしろ苦労ばかりを強いるし、自分自身のアイデンティティまでも不安に晒すようだ。これから自分が何をすべきで、何をすべきでないか、よく見極めるべきところにいる」とありました。

ジェルヴァゾーニに特別な霊感を感じるのは、ソプラノなど声を使って作曲するときで、これは脱帽だと思う瞬間が何度もありました。そんな時、絶対的な彼の個性がこちらに剣の先を向けているのではなく、極度に研ぎ澄まされた感性だけが辺りを浮遊する感覚が纏わり付きます。詩から得た霊感を、個性で殺さず在るがまま活かしている、と説明も可能でしょうが、彼の流浪人生が培ってきた独特のしなやかさが、心の奥で叫ぶ悲痛な表現とともに嗅ぎ当てた、独自の空間が存在するのかもしれません。

音楽院で彼に会う前日、ルーヴル美術館で、ルネッサンスからバロックまで、イタリア絵画を中心に駈足で眺めてきました。一瞥して思ったのは、修復の趣味が本国イタリアと随分違って、ずっと鮮やかです。きらびやかなルーヴル宮では確かに見栄えがよいですが、いきなり着馴れぬ服で歩いているような感覚に囚われました。ダヴィンチはその中でも特に強烈な個性を放っていて、理知的に計算された構図に対し、中性的な人物表現と、凹凸を極力廃した神秘的な配色の妙から、追随するものを許さぬ孤高の芸術家の印象を受けます。人だかりの「モナリザ」より寧ろ、彼の他の作品をゆっくり見られたのは嬉しかった。

それから2週間ほど経って、ルーヴルを思い出しながらミラノで「最後の晩餐」を見て、ダヴィンチ独特の艶かしい中性表現は素晴らしいけれども、心底好きになれない何かがあるのを改めて思いました。完璧な表現の中、どこまでも冷徹に物体を眺める目を排除することができないのです。その冷静な視点は、眺める側の反応まで計算済みにすら感じられ、どことなく居心地が悪いと言えば良いでしょうか。

被写体を分析的に客体として捉え、瞬間を永遠化することに於いて、ダヴィンチにはきっと写真の才もあったに違いありません。彼がカメラを自在に操れたなら、一体どれほど個性的な写真を撮ったかと想像が膨らみます。

「最後の晩餐」に出かけた頃、フィレンツェから友人の写真家、メッサーナが拙宅を訪れました。彼は生まれつき脳の海馬に腫瘍があって、度々てんかんの発作を引き起こすので、8月23日に手術を受けることにした、と話してくれました。

てんかんの発作と一口に言っても色々で、彼の場合、視覚と聴覚、触覚の調整機能が一時的に働かなくなるのだそうです。視覚で言えば、今原稿を書いているパソコンを見ているとすれば、視覚の範囲のほかの部分は、見えてはいるが実際は見ていないはずです。聴覚で言えば、誰かが自分に話しかけているとすれば、他の音を聞かずに、意識的にその話しかけられている相手に耳を傾けます。その調整機能が10秒くらいの間麻痺してしまい、見えているもの全てが同じだけ目に入り、耳に入るもの全てが、同じだけ耳に入り、触感として感じるもの全てが同じだけ感じられるのです。

何も知らない人間からすると、この感覚はさぞ素晴らしいものだろうと想像しますが、感覚としては世界すべてが文字通り色めきたって迫ってくるようなものだそうで、素晴らしい体験であることは認めるが、問題はその感覚が10秒ほど続いた後、体力が途轍もなく落ちてしまうのです。周りには、発作中特に何の変化も見えないので、それまで元気だったのが突然だるくなり、何も手につかなくなる、というのは、日常生活に於いて、大きな負担だったのだそうです。

幸運にも、彼の海馬の腫瘍は、普段は使っていない部分に出来ているので、手術の危険度は比較的低く、それでも1割の確率で、記憶が消えてしまう可能性もあります。写真家として、瞬間を永遠に記憶させることを生業とするものにとって、なんと諧謔的な光景だろう、とピッツァを切りながら力なく笑いました。

「もし術後に会って、君が誰だか理解できなかったとしても、どうか気を悪くしないでくれたまえ」、そう自分に言聞かせるように言いました。
「自分で決めたらすっきりして、今のところ特に手術は怖くはないけれど、でも直前になれば急に恐ろしくなるに違いない」。
「今はアルツハイマーなどで、記憶を失いかけている人たちの苦しみがわかる。怖さもわかる。でも、もしかしてある日を境にぷっつりと人生が変わってしまう選択を自ら選ぶというのは、またそれとも少し違う。怖さよりも、快癒して健康に暮らせるという希望こそが、こうして僕の背を押しているのだから」。

そうだろうね、と相槌を打ったあと、
「とにかく大切なのは、元気でいることだと思う。もし君が僕のことを分からなかったとしても、写真はここに残っている。今までの僕と君との記録は、写真にすべて残っている。だから、僕らは初めて会ったときのように握手をして、新しい良き友人として付き合えばいいだけさ。心配なんていらない」。

(ミラノにて 8月30日)