メキシコ便り(3)

毎日、先生と追っかけあいをしながらのクラスもいよいよ最終週。木曜日にはオラリオ(先生との会話と5分間のスピーチ)のテスト、金曜日にはクラスのメンバーがそれぞれの国の料理を作って持ち寄るパーティー、週明けには筆記の進級テストと、予定がつまってきた9月の終わり、しっかり勉強しなければと決意していた日曜日の夜、勉強を始めると突然爆発音が聞こえてきました。ガス工事でもしていて爆発が起きたのかと思うほどの大きな音。それも10分、15分間隔で聞こえてきます。勉強どころではなくなり、何度も窓から外を見ましたがよくわかりません。別に人が騒いでる様子もなく、表では向かいの公園に移動遊園地がきていました。大音量で音楽が流れ、たくさんの店が並んでいます。あまりのうるささに勉強どころではなく、あきらめて耳をふさぐようにしてその日は眠りました。

しかし、次の日も学校から帰ると同じ状態が続いています。いったいなんなのだとその辺りにいた人に聞くと、教会のお祭りだという答え。中に入ってみると、ちょうどミサの真っ最中。神父さんが歌いながら説教すると、前にずらりと並んだ15人位の楽団が、トランペットやトロンボーン、ギターなどで伴奏し、中にいる人たちも唱和します。楽団のソリストによる賛美歌もリズミカルで、ヨーロッパの教会の荘厳な雰囲気とは全く異なり、ここでは教会音楽もにぎやかなマリアッチでした。外ではシスターたちが手作りのお菓子やタコスの店を出し、やはり別の楽団が広場で演奏しています。その前ではもちろんみんな踊っています。

しばらくそれを見ていると、またもあの爆発音が聞こえてきました。そこで私のアパートのガードマンのフィデルにいったい何の音かと聞くと彼は「戦争が始まったんだよ」と一瞬、私を脅かし「本当は花火だよ」と笑いながら言いました。よく気をつけてみるとあがっていました。子どもがよくやっているあの打ち上げ花火です。でもその花火、とてもしょぼいのです。細い火がシュルシュルと短くあがってパッと消えます。なのに音だけはめちゃくちゃ大きいのですから閉口です。その日もまたまた勉強できず寝ることにしました。

そして、次の日も相変わらずです。おもいあまって、私はフィデルに「ここの住民はこんなに遅くまでうるさいのに文句言わないの」と聞きました。すると彼は「言わないよ。みんな祭りに参加してるんだから」ですって。なるほど、それではいうわけないわなー。そこではたと気がつきました。あ、そうか私も見ているだけじゃなく、参加すればいいんだと。もう試験勉強はすっぱりあきらめて出かけることにしました。ナタという今川焼きのようなお菓子をほおばり、大音量のロック音楽をききながら縁日を見て回りました。

移動遊園地は回転木馬、コーヒーカップ、バイキング、小さいですが観覧車まであります。たくさんの露天が出て、お菓子やパン、何十種類もの豆やチレ(メキシコの唐辛子)、直径50、60センチはあるチチャロン(豚の皮を油で揚げたもので、細かくちぎってサルサソースや、チレをまぶして、そのままおやつとして食べたり、スープの具にする。食感は少し油っぽい車麩かな)そのほかには、ろうそく、アクセサリー、各地の民芸品など、さまざまなものが売られ、臨時食堂では親子連れがタコスやポソレ(鶏肉やとうもろこしが入った実だくさんのスープで、9月16日の革命記念日の前夜には必ず各家庭独自のものを食べる習慣がある)を食べ、子どもたちはヨーヨーつりや、鉄砲打ちに興じています。そのそばでは父親が笑いながら子どもを見ています。こうしてみんな日付けが変わるまで3日間のお祭りを楽しんでいました。お陰で私はトホホ......の成績でしたが、なんとか進級だけはできました。

さあー2週間のバカンスです。ホンジュラスに6日間と、グアナファトで開かれる国際セルバンテスフェスティバルに4日間の予定で行ってきます。ホンジュラスはJAICAに勤める友人がくれた今年の年賀状に「ホンジュラスに赴任することになりました。近くに来られることがあれば是非お寄り下さい。」とあったので、近くに行くでー、とばかりに訪問することにしました。それまでどこにあるかも知らなかった国でしたが、初めて地図で探しました。メキシコのとなりがグアテマラ、そのとなりがホンジュラスでした。ニカラグアと並んで中米の最貧国のひとつだそうですが、メキシコとは違ったラティーノの姿を見ることができるだろうと、今から楽しみにしています。