アジアのごはん(22) なます

タイ人は、酸っぱいものが大好きだ。代表的な中部タイ料理のヤムは、魚醤油のナムプラー、さとう、マナオというライムのような柑橘の汁、そしてトウガラシ味が基本の和え物である。タイ料理には酸味を良く使うが、そのほとんどがマナオを使う。そのほか、レモングラスの酸味、タマリンドの実の甘酸っぱい味も使うが、いわゆる醸造酢はほとんど使わない。

醸造酢のタイにおける立場といったら、それはもうかわいそうなぐらいである。無色透明の液体が愛想のない瓶に入って売られているのだが、愛情のかけらもないケミカルな味で、種類もない。およそ、タイ人が食にかける情熱というものが醸造酢に関してはほんのかけらも発揮されていない。この醸造酢は、タイの中華系めん料理のクイティオ屋台で、テーブルの上に乗った調味料の一員としてしか働いていないのではないかと思われるほどである。

タイ人の酢に対する情熱は、ひたすらマナオ果汁に注がれている。マナオは市場で買ってきたり庭になっているのをもいできたりして、実を搾るだけでいい。出来上がった料理に、搾りやすく切ったマナオをそえて、好みでかけて食べるのもたいへんおいしい。だいたい、和え物のヤムの酸味がマナオでなく醸造酢であったらこれはヤムとはいえない。甘みとの調和も素晴らしく、ジュースにしてもたいへんおいしい。

タイ国のタイ人にかぎらず、タイ族は酸っぱいものが大好物である。ただ、タイ北部、雲南省西双版納、ビルマ・シャン州などのもっとタイ族本来の文化を残している人々の食生活を見ると、偏愛する酸味は柑橘系ではなく発酵の酸味のようだ。肉や魚のなれずし、野菜の漬物、お茶の漬物、それらを使ったさまざまな料理がある。

現在のベトナムの多数派のキン族は、ルーツがタイ族と近い可能性が高いのだが、どうもはっきりしない。たしかにそうかもしれないと思わせる似たところもあれば、いや違うだろうと思うところもある。ただ、ルーツが古代中国の越であったとしても、その後の辿った歴史と混血、文化の受容がタイ族の一員とはもういえないレベルにまで変わっていると思われる。
キン族が移住して勢力を誇るまでは、タイ族がベトナム北部にたくさん住んでいた。かれらはキン族に追われて、ラオスや東北タイに移住するのだが、現在も少数民族となってベトナム北部住み続けているタイ族もいる。

タイ族の一員かどうかは別として、ベトナム人もじつはけっこうな酸っぱい物好きである。なかでも、おもしろいのはフランス植民地時代の遺産であるフランスパンのサンドイッチの具ではなかろうか。ベトナム、ラオス、カンボジアにはフランスパンが地元民の食生活に定着していて、なかなかおいしいフランスパンを食べることが出来る。

フランスパンはもっぱらサンドイッチにして食べる。挟む具には、何種類かバリエーションがある。白人旅行者の多い町では、チーズやハム、レタス、オムレツを挟みマヨネーズで味つけする洋風のものもあるが、地元民たちが食べるのはちょっと違う。その中身はハムやひき肉にくわえて、香菜やねぎが入り、味つけはナムプラーやチリソースの見事なアジアンテイストである。また、大根とニンジンの甘酢和えである「なます」がたっぷりはさまれることもある。

サンドイッチに「なます」?? これが実にうまい。
ラオスでもこのフランスパンのサンドイッチがたいへんおいしいのだが、この「なます」フィリングはベトナム人の店にしかない。フランスパン自体は、ラオスのほうが味のレベルが高いと思う。ベトナム人は野菜の甘酢和えがけっこう好きなようだ。大根とニンジンのなます、青パパイヤの千切りのなます、などなど。塩と酢とさとうであっさりとしたベトナムなますは、いくらでも食べられるおいしさ。同じ青パパイヤの千切りを、タイ人はこんなにあっさりと料理しない。ラオスとタイでは塩辛汁パラーとにんにくやマナオ、トウガラシで搗き和えて、複雑で刺激的な味に仕立てる。

わたしは子供の頃、日本の「なます」が好きではなかった。つんつんくる酢の味と匂い、べたっとした甘さがイヤだったのだ。そして大人になってもわりと最近まで自分で作ったこともなかった。ところが、フランスパンの「なます」サンド(この場合汁気は切ってはさむ)で、「なます」はおいしいことにやっと気がついたのである。よく考えてみれば、日本の大根なますとほとんど同じものではないか。

京都の家の近所の「おからはうす」という自然食喫茶店でお昼のランチのおかずに大根なますが出た。「むむ、おいしい・・」わたしは店主の手塚さんにさっそく作り方を聞いた。とても簡単である。自分で作ってみた「なます」もたいへんおいしかった。要は自分好みの甘さとまろやかな酢を使えばいいのだ。
今さら、なます? という方はさておき、簡単でおいしいのに意外に作ったことのない人も多いのではないかしらん。そういう人のために簡単な作り方を。

〈大根とニンジンのなますの作り方〉
大根とニンジンはスライサーで薄く切り、好みの形にする。半月とかたんざくとか千切りとか。ニンジンは硬いので千切りがいい。ニンジンの量は少なめに。おいしい塩を振ってしばらく置いておく。塩味がなじんでしんなりしたら、甘酢をかけてすり白ゴマをたっぷり振り、混ぜ合わせる。

以上である。
で、甘酢であるがこれは自分で作ってもいいが、さらに簡単調理を促進する調味料がある。わたしが料理に使っている酢は、京都の宮津で作られている「富士酢」である。京都では千鳥酢が有名だが、富士酢のほうがわたしは好きだ。千鳥酢もおいしいが、ちょっとツンツンしている。

富士酢を造っている飯尾醸造は有機米から酒を作り、その酒から純米酢を作っている。おいしくて適度にまろやかで、料理にぴったり。で、その飯尾醸造の出している「すし酢」という寿司飯用の甘酢があるのである。これをなますに使うのである。超手抜き・・という声が聞こえてきそうだけど、いや、手抜きなわけじゃない・・んですよ。自分で富士酢とはちみつを混ぜ合わせてもいいけど、「すし酢」はたいへんおいしい比率でもう合わせ酢になっているのだから、まあいいじゃありませんか。甘すぎると思えば、これに富士酢を適宜足せばいいのだから、自分好みの甘さにすぐできる。

なにより、これがあるおかげで、あっというまにおいしい「なます」が作れるので、もう一品欲しいときや時間がないときに重宝するったらない。もちろん寿司飯に使ってもいいのだが、わたしはもっぱら「なます」やサラダのドレッシングに少し加えるという使い方をしている。マリネ液のベースにするのもいい。

タイ人の醸造酢に対する淡白さは、ひとえにマナオがおいしすぎるからかもしれない。むかしタイの東北部に住んでいたとき、日本の酢の物を作ろうとしてスーパーでタイ製の醸造酢を買ってきたときのショックといったらなかった。ミツカン酢でいいから欲しいと切に思ったほどである。醸造酢の味の、酢の物がその時は食べたかったのだ。富士酢になじんでしまった今となってはミツカン酢でもいいとはもう思わないが。