ヨルダンに到着したときはまだ肌寒かったが、シリアに向かうと、なんだかぽかぽか陽気ですっかり春。
今回は、「砂漠の待雪草」作戦を実行する。その中身は、イラク戦争から5年たとうとする3月20日に向けて、イラクから待雪草を摘んでくるという作戦だ。待雪草の花言葉は、「希望、慰め、楽しい予告」今のイラクにぴったりである。
マルシャークの戯曲「森は生きている」の中にも登場する花。
わがままな女王が、冬の大晦日に待雪草を摘んでこないと、新しい年にしないとダダをこねる。待雪草を摘んできたものにはご褒美をたくさん上げましょうと聞いて強欲で意地悪な継母が心の優しい孤児に寒いさなか森の中に、この時期にあるわけもない待雪草を摘みに行かせる。それでも奇跡が起こり、まま娘は、待雪草をたくさん摘んで帰ったという奇跡のお話。
もともとはロシア民謡の話だから、砂漠には咲くはずもない花なのだろうが、「アダムとイブの2人が楽園を追い出されて困っていたとき、降ってきた雪を天使が待雪草の花に変えた。」とある。アダムとイブの楽園は、バスラの近くのクルナ村辺りにあったといわれているから、イラクにも無縁ではない花だ。そういえば、1月11日、バグダッドに100年ぶりに雪が降ったというから、これもイラクに平和がくる前触れかもしれない。
さて、待雪草とは、暗号名で、つまりは、イラク人のこの5年間の物語を集めてくるという指令である。そこで、まず、わたしたちは、イラク難民であふれているというシリアのダマスカスへ向かったのである。
サイダ・ザイナブには、シーア派ゆかりのモスクがある。イラクからの難民が多く集まり、リトル・バグダードと呼ばれることもある。イラク料理や、イラク茶屋、イラク土産の店など、なんとも懐かしくなるのだが、ちょうどわれわれがついた日は、アルバイーンというお祭りの日。これは、シーア派のイスラム教徒が崇め奉るアル・フセイン(預言者ムハンマッドの孫)がカルバラの戦いで殉死した悲しみの記念日でもあるのだ。
イラクだけでなく、レバノンや、インド、イランなどから殉教者がたくさん集い、アル・フセインの苦しみを体現しようと、男たちは上半身裸になり、自らを鞭うつ。その鎖で出来た鞭の先には、包丁が着いているものもあり、背中からダラダラと出血。違うグループは、包丁を額につけて頭から流血している。目の前には、地獄絵が繰り広げられる。
見ているだけでも、すっかり体力を使い果たしたわたしたちは、食欲もうせ、待雪草をつんでくるどころではなくなってしまった。