つい今しがたジュネーブ駅を7時7分に出発したヴェニス行特急で、ミラノに戻ろうというところ。車窓右手には、目にまぶしいほどの朝日に輝くレマン湖がどこまでも広がり、左手にはまだ冬枯れの丘が続いています。お筝の後藤さんもレマン湖は水がきれいと言ってらしたけれど、朝、美しくつんと澄みわたる感じは、やはりアルプスの麓だからなのかとぼんやり考えていました。
昨晩まで、ジュネーブのコントルシャンと望月京(みさと)ちゃんが溝口健二の「瀧の白糸」につけた作品をやっていて、映画音楽として成立する部分も、効果音の部分も、純粋に現代音楽作品として成立している部分もあり、1時間40分の映画を邪魔せず、無音も効果的に挿入しながら、とても濃密な時間が共有できたのがうれしかったです。
京ちゃんとは1月に東京でも会ったばかりだったけれど、東京の大学で会うのとどことなく雰囲気が違って愉快でした。今回は練習も少ないし、映画と一緒だから返しづらいし、どう振ったものかと練習前日の夜どころか、当日の朝まで随分考え込んでいたのですが、本当に演奏者の皆さんに助けていただき、杞憂におわりました。
京ちゃんの作品を勉強していると、日本の女流古典文学を読むような、さらさらした流れが感じられます。ドラマがない、という意味では全くなくて、ちゃんとドロドロすべきところはドロドロとしているけれど、それが嫌らしくならない。どんな赤裸々なことを書いていても、読む者、聴く者を停滞させず、バランスよく先へ進めてくれるようなところがあって、これこそ彼女の才能なのでしょう。彼女は「痛点」つまり皮膚感覚を直裁に表現できるのが、やはり女性の強みじゃないかと言っていたけれど、その通りかもしれません。
作品は、テンポのないカデンツァとテンポのある部分が交互に現れて、レチタティーボの挟まれたオペラをやる気分でしたが、緩急具合も自然で、彼女のさらさら具合が、重たく救いのない溝口と泉鏡花の世界には、とてもよい塩梅だったとおもいます。女性からみた女性観が、良い意味で映画に客観性を与えてくれたようにおもうのです。これが、一緒になってよよと泣き崩れる音楽では、ヨーロッパ人には到底耐えられなかったかもしれない。「わたしは白糸に共感したのよ。あの時代にあれだけ自立して凛と生きる女性像にね。自分で稼いで、一度きり縁のあった男に貢ぐなんて、すごく強いし潔いでしょう」と京ちゃんも言っていたのが、よく反映されていました。
大変細かい画面との同期もあり、指揮者はMIDIペダルで予めコンピュータで作られた効果音や電子音響を挿入するのですが、簡単だから大丈夫と音響担当のクリストフに言われていたのに、とても不器用なのか、やってみるとこれが難しい。先ず、真っ暗な中で振っていると、ペダルがどこにあるか見えないのと、靴を履いていると、ペダルに触ったのか触らないのか感じられないのです。だから押したつもりで音が鳴らなかったり、準備しているうちに、どこかが触ってしまったのかいきなり音が鳴り出してしまったりと、失敗を繰り返した挙句、三味線や筝、尺八のみなさんが靴下で舞台にあがるのを良いことに、こちらも靴下のまま振りました。こういう体験は初めてでしたが、真っ暗だから見えないと皆に慰められやってみたものの、演奏が終わって客電がついたときの情けなさは何とも。
さて、タイムコード付のDVDを予め送ってもらい、それに音楽を同期させるべく勉強して行ったので、DVDと練習しているうちは問題なかったのですが、最後に映画館に入り、指揮者、演奏者はDVDのタイムコードを見ながら、35ミリフィルムをスクリーンに映写して通してみると、DVDと35ミリフィルムが酷いときには4秒ほどもずれてしまい、つられて音楽も映画と4秒ほどもずれてしまうことがわかりました。
35ミリフィルムのコマ数は当初秒速24フレームと指示されていたのですが、実際は18フレームから25フレームという不安定な速度で修復されていたようで、結局DVDのモニターを映写室に持ち込み、そこから片時も目を離さずに、映写技師が手動で映写速度を微調整してくれるのですが、DVDに合わせるのはなかなか難しいようで、目の前でDVDと映画がせめぎあうのを涼しい顔でやりすごさなければなりません。
最初は35ミリに合わせなければと思い、同期場面の30秒前くらいから、振りながら目で35ミリとDVDのずれを頭のなかで計算してやっていると、30秒後にはそのずれが逆転していたりするのです。その30秒の間にも、こちらは楽譜も目で追わなければいけないし、現代曲なので、演奏者たちにもキュー出ししなければいけないし、ずっとスクリーンを追うわけにもいきません。そして、映写技師さんがDVDに合わせようしてくれればしてくれる程、追い越したり、追い越されたりがそれは極端に早いスパンで繰り返されて逆効果になってしまい、最後は互いに合わせるのはやめて、音楽はタイムコードだけを頼りに振ることにしました。そうでなければ、イタチゴッコになってしまうからです。なかなか愉快な体験でしたが、文字通り、音楽と映画の手に汗にぎるデッドヒートの感でした。
ゲネプロで、最後に裁判所で白糸が自殺して、欣也も川辺で果てているところから画面が引いてゆくとこまで画面を目で追い、しっかりと同期しているのを確認した後で、さあ最後の音は心を込めて仕上げようと振ったところで頭を上げると、35ミリの方はとうに終わっていて、白画面に"STOP"とコンピュータのクレジットまで出ていて、流石に悲しくなりました。おかげで本番は気をつけてつつがなく終わることができたのですが。
MIDIペダルの効果音など、観客のためにもどうしてもスクリーンとずれるわけにはいかないので、幾つかは音響技師のクリストフに助けてもらうことにし、事なきをえました。例え、MIDIペダルのタイミングが正しくても、音響が流れているところで、映写技師さんがDVDとのずれを補正してゆくと、画面とコンピュータの音響がずれていってしまうので、何箇所かはDVDに合わせないようお願いして、補正もできるだけ優しくなだらかにとお願いして、漸く形になりました。
モントルーを過ぎた辺りで、湖の向こうには、まだ頂には雪がかぶった、雄大な山々の尾根が朝日に輝きながらせりだしています。イタリア・アルプスの始まりでしょうか。あと2時間ほどこの山々のなかを走りぬけて、ドモドッソラからイタリアへ入ってゆきます。
つまるところ、自分にとってとても興味深く、勉強になる経験でした。演奏者と映写技師と音響技師がコラボレートしながら作り上げる、あくまでもアナログの皮膚感覚で、同時に「テンポ」や音の持続の意味をあらゆる機会に考えさせられました。たとえば、白糸を心理描写する単音の持続が、6秒あったとして、ただ6秒のキューを演奏者に出すだけでは伸ばすだけでは何の感情移入も出来ないし、音の方向性も出てきません。これが、いわゆるスタジオ録音の映画音楽であれば、もっと徹頭徹尾ニュートラルに演奏することも可能なのですが、あくまでもライブ演奏で、観衆を包み込むわけですから、音の正確さだけでは物足りませんし、やはり演奏者のパッションが感じられるかどうかが、観客にとって大きな意味を持つに違いありません。それをどうすべきか、最後まで悩んでいました。音楽は、いくら書いてある音を正しく演奏しても、ただ無感情に演奏するのでは、音楽にはなりません。その辺りが難しいところでもあるし、ライブで演奏する醍醐味だともおもいます。
シオンを過ぎ、車両もずいぶん混んできました。今週末は復活祭なので、休暇を取ってヴァカンスへ出かける人や、帰郷する人たちでごったがえしています。3月半ばの復活祭と言えば、3年前に息子が生まれたときもやはり3月が復活祭でした。あの頃は、ウルグアイ人の友人宅に寓居して、法王の弔鐘が街中に鳴り響くなか、名物の兎のチョコレートを食べていました。この混み具合では、朝一番の電車で正解だったと独りごちていました。さもなければ座ることなど到底できなかったかもしれません。時たまイタリア語もぼそぼそ聞えますが、話し声の殆どは、元気のよい妙齢たちの甲高いフランス語です。先日東京に戻った折、東京から新宿まで通勤ラッシュの中央特快に乗ると、誰一人として声を出さず、しんと静まり返っていて、子供のころ電車はこんなに静かだったかと考えこんでしまいました。
何時しか車窓の目の前一杯にアルプスの雄大な山々がそびえ、晴れ渡っていた空もくぐもった山の天気になっていました。夕べは京ちゃんが打ち上げに買ってきてくれた海苔巻と赤ワイン旨かったなどと考えつつ眠り込んでしまったようで、気がつくとブリーグを過ぎたあたりなのか、長いトンネルがどこまでも続いていました。あの神々しいアルプスをこうしてトンネルを掘り突き抜けること自体、少し自然の摂理に反している気もするし、それこそ人間の強さと英知も感じます。こんな長いトンネルは、速度の感覚も、時間の感覚も麻痺させます。思わず、川端の「雪国」が思い出されて、彼の文章はどうしてこんなに美しいんだろうね、と昨日ホテルの朝食で後藤さんと話し込んだのが懐かしくなりました。
時たまトンネルを抜けると、周りは切り立った崖や男性的な岩肌ばかりの荒涼とした風景で、文字通り地獄のような谷底を列車は這うように進んでいきます。自然が人間を拒絶しているように感じられて、この地を初めて歩いた人は、一体どんな思いだったろうかと考えました。そうして最後の長いトンネルを抜けると、突然見晴らしのよい平地が広がって、途端に家々が目に飛び込んできたかと思うと、いきなり街が姿を現します。「間もなくドモドッソラです。国境の税関検査があります」、と出し抜けにイタリア語で放送が入り、フランス語のアナウンスに馴れた耳にはとても新鮮に聞えます。
ドモドッソラ駅で20分ほど停車している間に、今までフランス語を話していた周りの人たちが、一斉にイタリア語を話しだしたのには驚きました。それまでフランス語で話していてスイス人かと思っていた親子や夫婦が、途端にイタリア語にスイッチするのです。それも途轍もない南イタリアの田舎訛りだったりして、復活祭のために帰郷するのがわかり、これがヨーロッパなのだなと実感させられます。
今回はご飯もいつも美味しくて、旅を充実させてくれた理由のひとつです。特に、リヨン料理のビストロ「赤い牛」でランチを食べて、筝の後藤さんが食後に期せず頼んだデザートの巨大メレンゲなど、なかなか忘れられるものではないでしょう。確かに卵の形をしたものがカスタード・クリームに浮いてはいましたが、ダチョウの卵くらいの大きさでしたから。
列車もミラノに向けてドモドッソラの駅を後にしたようです。美しいベッラ島など眺めつつマッジョーレ湖畔を暫く走ればもうミラノ。少しばかり目をつぶり、明日からに備えることにします。