彼岸過ぎ

暖かくなり、家の中では潜んでいたヤモリがまた夜に鳴きはじめた。

彼岸の前、風邪で咳がひどく寝たり起きたりの生活。風邪が治るまで、時間がかかる。一週間ほど咳で明け方は必ず寝られず。なるべく咳が出ない時間帯に寝ることにし、夜の睡眠はあきらめる。

風邪が治らぬまま、彼岸のため実家へ。仏壇のお供え、あの世で使うお金のウチカビを燃やす。墓参りはしない。今年は墓参りするのを見かけたと姉が言っていた。一年のうち、墓参りに行くのは二回。旧暦七夕の墓掃除と四月の清明(シーミー)のみ。あとはなんらかの理由で墓を開けるとき。

最後に墓を開けたのは十二年近く前。墓がある土地を立ち退かなくてはいけなくなったため墓を引っ越したあと、引っ越した新しい墓に父親が入ることになったときだ。こちらでは葬式から納骨まで一日で済ませる。その時、誰が墓を開けるかをお伺いをたてるべきところへ行き、親戚の中で条件に適ったものが墓を開ける係となる。それ以外のものが開けてはいけない。沖縄に戻って十年以上経って親戚の葬式が二回あったが、その係にまだあたったことはない。

わたしが生まれる前に亡くなった祖父が最初の火葬だったようだ。墓を開け納骨のとき、祖母が火葬以前、戦前に墓に入ったお骨をカメから取り出し全部洗骨したはなしを、墓の中が見える状態のとき、誰かから聞いたおぼえがある。洗骨が行われたのは小さい頃、上にあがってよく遊んだ、大工をしていた祖父自身が作った墓だとおもう。シーミーのときなど子供が墓の上で遊ぶのはにぎやかでご先祖様が喜ぶ、ということで怒られない。風葬は戦後、久高島では行われていたが、ある出来事以来行われなくなった。久高島とは別の理由で昔からの葬り方は概ね「衛生」という理由のもと、力がはたらいてなくなってしまう。

少しの間だけ暖かかったのがいつの間にか暑さに変わる。車で十数分走ると、泡瀬の干潟に面した公園に着く。大きな公園の中、昔ながらの地形を利用した古い墓がいくつかある。アーサ(海藻で汁物に使われる)が近くの畑から流れて来たのか多く岩や砂地に見られる。たいらな津堅島も望むことができる。沖合は埋め立て工事をやっている。バブルの頃、その島より大きな人工島をつくる、埋め立て事業がたてられた。人工のリゾート・ビーチが多い中、当初の計画通り、人工のリゾート施設を作ろうと躍起になっているひと、反対するひと。

海開きがあちこちで行われ、短い春が終わる。