メキシコ便り(8)

2500年前のモンテ・アルバンの旅から帰り、チアパスに行ってきました。
チアパスはメキシコ・シティーから南へバスで16時間、マヤ古典期後期を代表するパレンケ遺跡があり、ここもやはりオアハカ同様、多くの先住民の村があることで知られています。

夜8時、メキシコ・シティー発の夜行バスに乗り、チアパス州のパレンケに着いたのが昼の12時。寝不足でもうろうとした中、宿を探し、荷物を置くとさっそく街に出ました。パレンケは小さな街で、特別に見どころがあるわけではないのですが、遺跡への基点となるため、観光客も多く結構にぎわっていました。

次の日の朝、バスで25分の遺跡に行きました。うっそうとした中を少し歩くと、突然、大きな神殿が目の前に現れ、その美しさに息をのみました。緑深いジャングルの中に、たくさんの神殿や宮殿が立ち並び、天文学や、建築学に秀でていたというマヤ文明の繁栄がしのばれました。この遺跡はほかの古典期マヤ都市にみられるような石碑がなく、かわりに石のパネルや漆喰レリーフに文字や図像が刻まれ、建物や階段にはめ込まれているのが特徴です。この碑文には2世紀にわたるパレンケの王家の歴史が刻まれ、唯一「女王」が存在したという記録があるのです。この女王は西暦583年から604年にパレンケを統治した「オルナル女王」と、西暦612年から6115年まで内政をつかさどった「サク・クック女王」で、この2人の女王の存在は王朝の父系相続の原則を破っていたという話を聞いたとき、そういえば日本では、ひところ前、女帝を認めるかどうかでもめたことがあったなあと、なんだか懐かしく思い出してしまいました。

次の日はパレンケから南西にバスで5時間のサンクリストバル・デ・ラスカサスに行き、サンファン・チャムラとシナカンタンの先住民の村を訪れました。サンフアン・チャムラ村では教会のある広場で市がひらかれ、多くの人でにぎわっていました。教会の中ではミサが行われ、たくさんの人たちが祈りをささげていましたが、その様子は少し変わっていました。床一面に松の葉が敷き詰められ、ろうそくが床に直接、無数に立てられているのです。そして教会への貢物として、コカコーラがケースで置かれていました。この村では村人が身体に異常を感じた時、イロールと呼ばれる特別の能力を持った女性のところに行き、祈祷をしてもらいます。そして病気には卵と炭酸ガスが効くといわれているので、その治療薬として教会にコカコーラを供えるというのです。ここではキリスト教と伝承宗教が渾然一体となった独特の信仰があるということですが、祈祷とコカコーラの取り合わせはなんとも奇妙でした。

一方、シナカンタンの村ではバスから降りるやいなや民族衣装を着た子どもが3人、フォト、フォトと近づいてきました。どうやら写真のモデルになるからお金をちょうだいということなのです。オアハカではトルティージャの原料のトウモロコシに入れるカルを売っていたおばあさんは写真を嫌ったのに、ここの子どもは積極的に「仕事」にしていました。村をぶらぶら歩いていると織物を織っている女性がいました。道具は織機のように大掛かりなものではなく、庭の木に縦糸を束ねた一方をひっかけて揺れる糸をあやつりながら編んでいくのです。よくこんな簡単な道具であんなに美しく、しっかりした布が出来上がるなあと感心しながら見ていると、家の中でトルティージャを作っていた女性ができたてを食べるようにすすめてくれました。直径1メートルほどの大きな鉄のフライパンの上で焼いたものの中にペピータ・デ・カラバサ(かぼちゃの種の粉末)を入れて食べました。できたてのトルティージャは温かく、ふんわりとしてとてもおいしかったです。

また、ここチアパスでは小さな子どもがバナナや民芸品を売り歩く姿に頻繁に出会いました。アグア・アスルというとても美しい滝に行ったとき、マウラとパスチョの姉弟がお母さんが作ったという揚げたバナナを売りにきました。私はバナナを持っていたので、断りましたが、ずーとついてきます。あまりに熱心なので、買おうかとおもったそのとき、姉のマウラが私の指輪を、弟のパスチョは5ペソ(50円)ちょうだいというのです。急に買う気が失せてしまい、彼女たちと少し話をしました。マウラは6歳でパウチョは4歳、いつも2人で観光客相手にバナナを売り歩き、売れたお金はお母さんに渡すと言っていましたが、そのお母さんは21歳で今おなかに赤ちゃんがいるということでした。ということはマウラを15歳で産んだことになります。ちょっとびっくりしてしまいましたが、先住民の女性は若くからたくさんの子どもを産みます(前回も書きましたが平均8人)。それはマウラたちのように労働力として必要だからです。

ここは観光地に近いので電気や水の設備はありますが、少し奥にいくと、まったくそれらのサービスがうけられない村がいまだに多くあります。そんな中で多くの子どもを産み、育てている母親たちの生活の厳しさは想像を絶するものがあります。ここでガイドをしてくれたラウルは、チアパスの先住民はとても貧しく、不便な生活をいつまでも強いられているが、これは未だに根強く残る差別が原因なのだよと静かに語ってくれました。そういえば先住民族の諸権利と文化の認知を求め活動しているサパティスタ民族解放戦線のたて看板が多くみられ、彼らへの住民の支持が高いチアパスが、サパティスタの活動の中心になるのもうなずけます。ものがあふれ、活気に満ち、毎日お祭りをしているようなメキシコ・シティーだけにいたのでは、決して見えてこないメキシコのもうひとつの現実を、この旅で知ることができました。