バスラが危ない

3月25日、マリキ首相がいきなりバスラに攻め込んだ。対抗するサドル派を一気に壊滅しようともくろんだ「騎馬の襲撃」と称されたこの作戦。アメリカのブッシュ大統領は「イラク政府が国民の多数を代表しているわけだから、犯罪分子や、無法者とは戦わなくてはならない。今、バスラでおきていることは、そのようなことだ。自由なイラクの決定的瞬間である。」とマリキ政権のバスラ制圧作戦を賞賛し、アメリカ軍も、バスラに空爆を行った。

しかし、サドル派の抵抗は強く、マリキ首相ひきいる軍隊は投降するものも多く出た。結局、イランの仲介で双方が停戦に合意したような形で紛争は終結した。とメディアでは書かれているが、現場の人々に電話してみると、空爆やら家宅捜査でおいそれと外にも出られない。

頼りにしていたローカルスタッフのイブラヒムもヨルダンに会議にでてきておりかえれなくなってしまった。最初は、勢いづいてバスラの家族や友人に電話し情報を集めてくれていたが、途中からどうも様子がおかしい。ぜーぜーと咳き込み、活動が鈍ってきた。
「今、バスラに戻ったら殺される」
飛行機が飛ぶようになっても
「今、帰ったら殺される」
学校が始まって、娘が小学校にいけるようになっても
「今、帰ったら殺される」
と駄々をこねる。完全にぐうたらになってしまったのだ。それでも、無理やりに飛行機のせてバスラに帰ると食料配給やらに奔走。見違えるようにがんばっている。

一ヶ月がたった。ニュースをチェックした限りでは、今日はバスラは平穏だろう。アンマンの加藤も特にこれといったニュースはまだ耳にしていないようだった。私は、友人たちに、「バスラはよくやく落ち着いてきたようです」と経過報告のメールをおくったばかりだった。バスラにいるイブラヒムに電話をする。

木曜日は週末の前の日。イスラム教の国では金曜日が休日。朝から、イブラヒムは、病院にいった。今日は、院内学級で教えた。しかし、ドクターに呼ばれる。薬を買ってきて欲しいというのだ。シャットル・アラブ川の向こう岸は、タヌーマ地域。そこには薬局がたくさんある。イブラヒムは兄と一緒に12時ごろ薬局に着く。しかし、1500ドルの抗生剤を買い付けると、いきなり銃撃戦が外で始まったようだった。銃声が聞こえる。店員3名と客2人と女性の客が1人いたが、皆流れ弾に当たらないように身を伏せた。停電。ヘリコプターが舞う音がする。6時間がたっただろうか。「今なら大丈夫だ」イブラヒム達は外に出て車に乗り込んだ。弾丸が飛び交う中を車はスピードを上げて駆け抜ける。イブラヒムは、6、7人の人が道路で血を流して倒れていたという。生きているか、死んでいるか、わからない。

それでも何とか病院に行き返し買い付けた薬を持ってきたが、医者たちはすでに避難していたので、教室に薬をしまいあわてて外にでた。数人の患者が病院に残っているだけだった。外出禁止令がでているのか通りには誰もいない。イブラヒム達は全速で家路に着いた。無事に家に着いたときは夜の8時だった。
「イブラヒムハイキテイルヨ、アリガトウゴザイマス」